きしだぎんこう【岸田吟香】
[1833〜1905]新聞記者。岡山の生まれ。名は銀次。ヘボンの「和英語林集成」の編集に協力。のち、東京日日新聞の記者。東亜同文会などを創設し、日中文化交流に尽力した。
きしだくにお【岸田国士】
[1890〜1954]劇作家・小説家。東京の生まれ。フランスで演劇を研究。演出家・評論家として日本の新劇運動を指導。文学座創立者の一人。戯曲「チロルの秋」「紙風船」「牛山ホテル」、小説「由利旗江」「暖流」など。
きしだくにおぎきょくしょう【岸田国士戯曲賞】
岸田国士を記念して創設された文学賞。昭和30年(1955)新劇戯曲賞として設置。昭和36年(1961)「新劇」岸田戯曲賞と改称、昭和54年(1979)に現在の名称となる。年に1回、活字化された戯曲作品を対象として選考される。岸田賞。
出典:gooニュース
オリックス・岸田監督、震災から30年「まだまだ悲しんでおられる方が…元気になってもらえるように野球に取り組んでいかないと」
大阪府吹田市出身の岸田監督は、震度7の地震が起こった95年当時は軟式野球をしている中学1年生だった。1月17日午前5時46分、大きな揺れで目覚めた。 「家で、すごく揺れたのを覚えています。立てないぐらい。震源地がここかなと思うぐらい。テレビをつけると、すごい大惨事という思いを今でも鮮明に覚えています」 自宅のタンスや時計、テレビが倒れたことも覚えている。
オリックスの岸田監督、福良GMら選手、スタッフ約90人が大阪・舞洲で黙とう
湊通夫球団社長、福良淳一GM、岸田護監督以下、選手、スタッフ約90人が三塁ベンチ前に整列し、神戸方面を向いて1分間、祈りを捧げた。 大阪府吹田市で被災した岸田監督は「僕は当時、中学生だったんですけど、思い出しながら黙とうさせてもらいました。あの時の印象がすごく強かったので、30年も経ってるような感じはしない」と神妙に話した。
【オリックス】阪神大震災から30年 岸田監督ら黙とう「バファローズで元気になってもらえるように」
福良GMや岸田監督、合同自主トレ中の新人をはじめとする選手、首脳陣、球団職員合わせて約90人が参加した。 当時、中学1年生だった岸田監督は大阪・吹田市の自宅で揺れを経験。「朝早かったので、家ですごい揺れたのをよく覚えている。その後、テレビをつけるとすごい大惨事だったというのを、今でも鮮明に覚えている」と振り返った。
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出典:青空文庫
・・・ュ、ヴィルドラック、岸田国士などが好きで、殆んど心酔したが、しか・・・ 織田作之助「わが文学修業」
・・・旧時代のハイカラ岸田吟香の洋品店へ、Sちゃんが象印の歯みがきを買・・・ 寺田寅彦「銀座アルプス」
・・・作家たちは阿部知二、岸田国士、丹羽文雄その他の諸氏の通りみな所謂・・・ 宮本百合子「おのずから低きに」