しまづいえひさ【島津家久】
[1576〜1638]安土桃山・江戸初期の武将。薩摩藩主。文禄の役・慶長の役に従軍。慶長14年(1609)琉球を平定して薩摩に帰属させた。
しまづしげひで【島津重豪】
[1745〜1833]江戸後期の薩摩藩主。藩校や医学院の創設など文化事業を推進。債務解消のため調所広郷 (ずしょひろさと) を登用して財政改革を図った。
しまづたかひさ【島津貴久】
[1514〜1571]戦国時代の武将。薩摩 (さつま) の人。宗家を継いで薩摩・大隅 (おおすみ) を統一。外国との外交にも力を尽くした。
しまづただよし【島津忠義】
[1840〜1897]江戸末期の薩摩藩主。久光の長男。藩主斉彬 (なりあきら) の死後家を継ぎ、父とともに藩の近代化に尽力。維新後、率先して版籍奉還した。のち、貴族院議員。
しまづなりあきら【島津斉彬】
[1809〜1858]江戸末期の薩摩藩主。早くから西洋文明に関心を抱き、開国・殖産興業を幕府に提言した。将軍継嗣問題にあたり、一橋慶喜 (ひとつばしよしのぶ) を擁立して井伊直弼 (いいなおすけ) と対立。藩内でも紡績機械・反射炉などを設置し、殖産を奨励した。
しまづひさみつ【島津久光】
[1817〜1887]江戸末期の政治家。薩摩 (さつま) の人。斉彬 (なりあきら) の異母弟。忠義の父。斉彬の死後、子の忠義が藩主となったのちは藩政の実権を握った。藩内尊攘 (そんじょう) 派を弾圧して公武合体に奔走。明治7年(1874)左大臣になったが、まもなく帰国して隠退。
しまづひさもと【島津久基】
[1891〜1949]国文学者。鹿児島の生まれ。東大教授。源氏物語や中世の説話・物語文学の研究に貢献した。著「対訳源氏物語講話」「義経伝説と文学」など。
しまづやすじろう【島津保次郎】
[1897〜1945]映画監督。東京の生まれ。松竹を中心に展開した小市民映画ですぐれた業績を残した。代表作「隣の八重ちゃん」「お琴と佐助」など。
しまづよしひさ【島津義久】
[1533〜1611]安土桃山時代の武将。薩摩 (さつま) の人。貴久の子。法号、竜伯。薩摩・大隅 (おおすみ) ・日向 (ひゅうが) の3国を領し、さらに諸大名を破ってほとんど九州全土を統一支配。豊臣秀吉の九州征伐で降伏。
しまづよしひろ【島津義弘】
[1535〜1619]安土桃山時代の武将。薩摩 (さつま) の人。法号、惟新 (いしん) 。兄義久とともに九州全土を統一。文禄の役・慶長の役で功をあげ、関ヶ原の戦いでは西軍につき、敗退。帰国して隠居した。