・・・ お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を飜さなかった。それは病菌をお前・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・雲のごとき智者と賢者と聖者と神人とを産み出した歴史のまっただ中に、従容として動くことなきハムレットを仰ぐ時、人生の崇高と悲壮とは、深く胸にしみ渡るではないか。昔キリストは姦淫を犯せる少女を石にて搏たんとしたパリサイ人に対し、汝らのうち罪なき・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・カントの道徳哲学を読んで人間理性の自律の崇高感に打たれないものはないであろう。 倫理学は人間行為の指導原理と法則とを与えようとするのみならず、また学者の個性をも表現する。コーヘンの『純粋意志の倫理学』と、ギヨーの『義務と制裁のない倫理学・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それ以上、自分に取っては普通道徳は何ら崇高の意義をも有しない。一種の方便経に過ぎない。 まだ一つある。私はむしろ情負けをする性質である。先方の事情にすぐ安値な同情を寄せて、気の毒だ、かわいそうだと思う。それが動機で普通道徳の道を歩んでい・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・きょうまで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持よく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静かに、ていねいに洗って下され、腰にまとって在った手巾で柔かく拭いて、ああ、そのときの感触は。そうだ、私はあのとき、天国・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・あのときの一種崇高の感激は、生涯にいちどあるか無しかの貴重のものと存じます。ああ、不要のことのみ書きつらねました。おゆるし下さい。高橋君は、それ以後、作家に限らず、いささかでも人格者と名のつく人物、一人の例外なく蛇蝎視して、先生と呼ばれるほ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・自己のために死ぬのではない。崇高な献身の覚悟である。そのような厳粛な決意を持っている人は、ややこしい理窟などは言わぬものだ。激した言い方などはしないものだ。つねに、このように明るく、単純な言い方をするものだ。そうして底に、ただならぬ厳正の決・・・ 太宰治 「散華」
・・・心の底まで透明になってしまって、崇高なニヒル、とでもいったような工合いになった。しずかに寝巻に着換えていたら、いままですやすや眠ってるとばかり思っていたお母さん、目をつぶったまま突然言い出したので、びくっとした。お母さん、ときどきこんなこと・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ この世に於いて最も崇高にして且つ厳粛なるべき会合に顔を出して講演するなど、それはもう私にとりましてもほとんど残酷と言っていいくらいのもので、先日この教育会の代表のお方が、私のところに見えられまして、何か文化に就いての意見を述べよとおっしゃ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・そのひとの際立った不思議な美しさの原因は、もっと厳粛な、崇高といっていいほどのせっぱつまった現実の中にあったのです。或る夕方、私は、三度目の工場訪問を終えて工場の正門から出た時、ふと背後に少女たちの合唱を聞き、振りむいて見ると、きょうの作業・・・ 太宰治 「東京だより」
出典:青空文庫