・・・妹は、不思議にも落ちついて、崇高なくらいに美しく微笑していました。「姉さん、あの緑のリボンで結んであった手紙を見たのでしょう? あれは、ウソ。あたし、あんまり淋しいから、おととしの秋から、ひとりであんな手紙書いて、あたしに宛てて投函していた・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・けれども、いま眼のまえに少女の美しい裸体を、まじまじと見て、志賀氏のそんな言葉は、ちっともいやらしいものでは無く、純粋な観賞の対象としても、これは崇高なほど立派なものだと思った。少女は、きつい顔をしていた。一重瞼の三白眼で、眼尻がきりっと上・・・ 太宰治 「美少女」
・・・私は、かえって、そのような富士の姿に、崇高を覚え、天下第一を感ずる。茶店で羊羹食いながら、白扇さかしまなど、気の毒に思うのである。なお、この一文、茶屋の人たちには、読ませたくないものだ。私が、ずいぶん親切に、世話を受けているのだから。・・・ 太宰治 「富士に就いて」
・・・今の人間には崇高や壮大と名づけられる種類の美は何らかの障礙のために拒まれているのだろうか。 日本画部から受けた灰色の合成的印象をもって洋画部へはいって行くと、冬枯れの野から温室の熱帯樹林へはいって行くような気持がするのは私ばかりでは・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・即ち文学上から見てローマンチシズムは偽を伝えるがまた人の精神に偉大とか崇高とかの現象を認めしめるから、人の精神を未来に結合さする。ナチュラリズムは、材料の取扱い方が正直で、また現在の事実を発揮さすることに勉むるから、人の精神を現在に結合さす・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・一九を読んで崇高の感がないと云うのは非難しようもない。崇高の感がないから排斥すべしと云うのは、文学と崇高の感と内容において全部一致した暁でなければ云えぬ事である。一九に点を与えるときには滑稽が下卑であるから五十とか、諧謔が自然だから九十とか・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・「もっとも崇高なる天地間の活力現象に対して、雄大の気象を養って、齷齪たる塵事を超越するんだ」「あんまり超越し過ぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好加減に超越して置く事にしようじゃないか。僕の足じ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずる事ができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠亡して、残る四分の一のもっと・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ひとを死なせてもよいと云う信念の崇高さ、厳さも知った。 自分とAとのことも、或底力を得た。とにかく、行く処迄、真心を以て行かせよう。彼が死ぬことになるか、自分がどうかなるか、どちらでもよい。信仰を持ち、人生のおろそかでないことを知ってや・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・高く耀き 照る日のように崇高にどうしていつもなれないだろう。あまりの大望なのでしょうか?神様。 *自分は 始め 天才かと思った。 あわれ あわれ は……。然し、その夢も 醒めた。 有難・・・ 宮本百合子 「五月の空」
出典:青空文庫