・・・唯物史観に立脚するマルクスは、そのままに放置しておいても、資本主義的経済生活は自分で醸した内分泌の毒素によって、早晩崩壊すべきを予定していたにしても、その崩壊作用をある階級の自覚的な努力によって早めようとしたことは争われない。そして彼はその・・・ 有島武郎 「想片」
・・・ 浅草は今では活動写真館が軒を並べてイルミネーションを輝かし、地震で全滅しても忽ち復興し、十二階が崩壊しても階下に巣喰った白首は依然隠顕出没して災後の新らしい都会の最も低級な享楽を提供している。が、地震では真先きに亡ぼされたが、維新の破・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・長い帰りの電車のなかでも、彼はしじゅう崩壊に屈しようとする自分を堪えていた。そして電車を降りてみると、家を出るとき持って出たはずの洋傘は――彼は持っていなかった。 あてもなく電車を追おうとする眼を彼は反射的にそらせた。重い疲労を引き摺り・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・遠い山々にはまだ白雪の残ったところも有ったが、浅間あたりは最早すっかり溶けて、牙歯のような山続きから、陰影の多い谷々、高い崩壊の跡などまで顕われていた。朝の光を帯びた、淡い煙のような雲も山巓のところに浮んでいた。都会から疲れて来た高瀬には、・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・新東京――これから建設されようとする大都会――それはおのずからこの打破と、崩壊と、驚くべき変遷との間に展けて行くように見えた。「ああ出て来てよかった」 と原は心に繰返したのである。再会を約して彼は築地行の電車に乗った。 友達に別・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・かなりの店であったが、てるが十三の時、父は大酒のために指がふるえて仕事がうまく出来なくなり、職人をたのんでも思うようにゆかず、ほとんど店は崩壊したのである。てるは、千住の蕎麦屋に住込みで奉公する事になった。千住に二年つとめて、それから月島の・・・ 太宰治 「古典風」
・・・破壊しようとする強い意志が無くとも、おのずから、つぎつぎと崩壊した。私が昭和五年に弘前の高等学校を卒業して大学へはいり、東京に住むようになってから今まで、いったい何度、転居したろう。その転居も、決して普通の形式ではなかった。私はたいてい全部・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・言いたいところでもあろうが、この作者、元来、言行一致ということに奇妙なほどこだわっている男で、いやいや、そう言ってもいけない、この作者、元来、非惨を愛する趣味家であって、安心立命の境地を目して、すべて崩壊の前提となし、ああ、あとの言葉は、諸・・・ 太宰治 「創作余談」
・・・売切れのままで、二年三年経過すると、一日に一冊ずつ売れたという私の自慢も崩壊する事になる。たとえば、売切れのままで、もう十年経過すると、「晩年」は、昭和十一年から十五箇年のあいだに、たった千五百部しか売れなかったという事になる。すると、一箇・・・ 太宰治 「「晩年」と「女生徒」」
・・・そこへ大正十二年の大震災が襲って来て教室の建物は大破し、崩壊は免れたが今後の地震には危険だという状態になったので、自分の病気が全快して出勤するようになったときは、もう元の部屋にははいらず、別棟の木造平屋建の他教室の一室に仮り住いをすることに・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫