・・・の字さんは東京へ帰った後、差出し人萩野半之丞の小包みを一つ受けとりました。嵩は半紙の一しめくらいある、が、目かたは莫迦に軽い、何かと思ってあけて見ると、「朝日」の二十入りの空き箱に水を打ったらしい青草がつまり、それへ首筋の赤い蛍が何匹もすが・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ 薄黒い入道は目を留めて、その挙動を見るともなしに、此方の起居を知ったらしく、今、報謝をしようと嬰児を片手に、掌を差出したのを見も迎えないで、大儀らしく、かッたるそうに頭を下に垂れたまま、緩く二ツばかり頭を掉ったが、さも横柄に見えたので・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 樹島は謝礼を差出した。出来の上で、と辞して肯ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、硯に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を―― 記一金……円也「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・そのまま、茄子の挫げたような、褪せたが、紫色の小さな懐炉を取って、黙って衝と技師の胸に差出したのである。 寒くば貸そう、というのであろう。…… 挙動の唐突なその上に、またちらりと見た、緋鹿子の筒袖の細いへりが、無い方の腕の切口に、べ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・提灯を車の上に差出して、予を載せようとする車屋を見ると、如何にも元気のない顔をして居る。下ふくれの青白い顔、年は二十五六か、健康なものとはどうしても見えない。予は深く憐れを催した。家には妻も子もあって生活に苦しんで居るものであることが、あり・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、ちょっと顔色を変え、「いやアだ」と、ほうり出し、「奥さんから来たのだ」「これ、何をします!」お袋は体よくつくろって、「先生、この子は、ほんとうに、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・私は感謝していつでも六厘差し出します。それから七夕様がきますといつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつもそれを喜んで供えさせます。その女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・と、良ちゃんは、小さい手を差し出しました。「だめよ。なんといっても、これは、良ちゃんにあげられません。お姉さんが、使っているのですもの。」「見せて、おくれよ。」と、良ちゃんは、けっして、自分のものにはしないから、ただ手に取らしてよく・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
・・・ 慰謝金を少くも千円と見こんで、これでんねんと差し出した品を見ると、系図一巻と太刀一振であった。ある戦国時代の城主の血をかすかに引いている金助の立派な家柄がそれでわかるのだったが、はじめて見る品であった。金助からさような家柄についてつい・・・ 織田作之助 「雨」
・・・仲居さんが差し出したお勘定書を見た途端、あの人は失敗たと叫んで、白い歯の間からぺろりと舌をだした。そしてみるみる蒼くなった。中腰のままだった。仲居さんは、あの人が財布の中のお金を取り出すのに、不自然なほど手間が掛るので、諦めてぺたりと坐りこ・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
出典:青空文庫