・・・それから蒲団の裾をまわって、母の顔がよく見える方へ坐った。 お律は眼をつぶっていた。生来薄手に出来た顔が一層今日は窶れたようだった。が、洋一の差し覗いた顔へそっと熱のある眼をあけると、ふだんの通りかすかに頬笑んで見せた。洋一は何だか叔母・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・年よりも若い第二十三号はまず丁寧に頭を下げ、蒲団のない椅子を指さすであろう。それから憂鬱な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであろう。最後に、――僕はこの話を終わった時の彼の顔色を覚えている。彼は最後に身を起こすが早いか、たちまち拳骨をふ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・父は蒲団の左角にひきつけてある懐中道具の中から、重そうな金時計を取りあげて、眼を細めながら遠くに離して時間を読もうとした。 突然事務所の方で弾条のゆるんだらしい柱時計が十時を打った。彼も自分の時計を帯の間に探ったが十時半になっていた。・・・ 有島武郎 「親子」
・・・に、浴衣を襲ねたは、今しがた湯から上ったので、それなりではちと薄ら寒し、着換えるも面倒なりで、乱箱に畳んであった着物を無造作に引摺出して、上着だけ引剥いで着込んだ証拠に、襦袢も羽織も床の間を辷って、坐蒲団の傍まで散々のしだらなさ。帯もぐるぐ・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・物置の天井に一坪に足らぬ場所を発見してここに蒲団を展べ、自分はそこに横たわって見た。これならば夜をここに寝られぬ事もないと思ったが、ここへ眠ってしまえば少しも夜の守りにはならないと気づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・僕はぞッとして蒲団を被ろうとしたが手が一方よりほか出なかった。びっくりした看護婦が、どうしたんや問うたにも答えもせず、右の手を出してそッと左の肩に当って見たら二三のとこで腕が木の株の様に切れて、繃帯をしてあった。――この腕だ。」 と、友・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 疱瘡の色彩療法は医学上の根拠があるそうであるが、いつ頃からの風俗か知らぬが蒲団から何から何までが赤いずくめで、枕許には赤い木兎、赤い達磨を初め赤い翫具を列べ、疱瘡ッ子の読物として紅摺の絵本までが出板された。軽焼の袋もこれに因んで木兎や・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・薄暗い二間には、襤褸布団に裹って十人近くも寝ているようだ。まだ睡つかぬ者は、頭を挙げて新入の私を訝しそうに眺めた。私は勝手が分らぬので、ぼんやり上り口につっ立っていると、すぐ足元に寝ていた男に、「おいおい。人の頭の上で泥下駄を垂下げてる・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・がらんとした部屋の真中にぽつりと敷かれた秋の夜の旅の蒲団というものは、随分わびしいものである。私はうつろな気持で寐巻と着かえて、しょんぼり蒲団にもぐりこんだ。とたんに黴くさい匂いがぷんと漂うて、思いがけぬ旅情が胸のなかを走った。 じっと・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・一日々々と困って行った。蒲団が無くなり、火鉢が無くなり、机が無くなった。自滅だ――終いには斯う彼も絶望して自分に云った。 電灯屋、新聞屋、そばや、洋食屋、町内のつきあい――いろんなものがやって来る。室の中に落着いて坐ってることが出来ない・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫