・・・美津は袂を啣えながら、食卓に布巾をかけていた。電話を知らせたのはもう一人の、松と云う年上の女中だった。松は濡れ手を下げたなり、銅壺の見える台所の口に、襷がけの姿を現していた。「どこだい?」「どちらでございますか、――」「しょうが・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・仁右衛門はだらんと下げた右手に斧をぶらさげたまま、妻は雑巾のように汚い布巾を胸の所に押しあてたまま、憚るように顔を見合せて突立っていた。「ここへ来う」 やがて仁右衛門は呻くように斧を一寸動かして妻を呼んだ。 彼れは妻に手伝わせて・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ とお力は言って、新七の手から布巾を奪い取るようにした。 魚河岸の方へ行った連中が帰って来てからは、料理場の光景も一層の賑かさを増した。料理方の人達はいずれも白い割烹着に手を通して威勢よく働き始めた。そこにはイキの好い魚を洗うものが・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・その間に父上は戸棚から三宝をいくつも取下ろして一々布巾で清めておられる。いや随分乱暴な鼠の糞じゃ。つつみ紙もところどころ食い破られた跡がある。ここに黄ばんだしみのあるのも鼠のいたずらじゃないかしらんなど独語を云いながら我も手伝うておおかた三・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・と云う。へえでは埓があかん。構わず飛び上って、茶の間へつかつか這入り込む。見ると御母さんが、今起き立の顔をして叮嚀に如鱗木の長火鉢を拭いている。「あら靖雄さん!」と布巾を持ったままあっけに取られたと云う風をする。あら靖雄さんでも埓があか・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫