・・・この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。 又 民衆は大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭をも抛たないものである。唯民衆を支配する為には大義の仮面を用いなければならぬ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ なほ考ふるに、舜はもと一田夫の子、いかに孝行の名高しと雖、堯が直に之を擧げて帝王の位を讓れりといへる、その孝悌をいはんがためには、その父母弟等の不仁をならべて對照せしめしが如きは、之をしも史實として採用し得べきや。又禹の治水にしても、・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・それはきっと帝王のよろこびを感じたのだ。「僕はたしかだ。誰も知らない。」軽蔑ではなかった。 同じようなことが、二度あった。私はときたま玩具と言葉を交した。木枯しがつよく吹いている夜更けであった。私は、枕元のだるまに尋ねた。「だる・・・ 太宰治 「玩具」
・・・このひそやかの祈願こそ、そのまま大悲大慈の帝王の祈りだ。」もう眠っている。ごわごわした固い布地の黒色パンツひとつ、脚、海草の如くゆらゆら、突如、かの石井漠氏振附の海浜乱舞の少女のポオズ、こぶし振あげ、両脚つよくひらいて、まさに大跳躍、そのよ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・なりの部屋の若旦那は、ふすまをあけたら、浴衣がかかっていて、どうも工合いがわるかった、など言って、みんな私よりからだが丈夫で、大河内昇とか、星武太郎などの重すぎる名を有し、帝大、立大を卒業して、しかも帝王の如く尊厳の風貌をしている。惜しいこ・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・しかしながら不幸にして皇后陛下は沼津に御出になり、物の役に立つべき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらり頭を駢べている連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する忠臣もなく、あたら君徳を輔佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・すなわち冠を戴く頭は安きひまなしと云うのが沙翁の句で、高貴の身に生れたる不幸を悲しんで、両極の中、上下の間に世を送りたく思うは帝王の習いなりと云うのがデフォーの句であります。無論前者は韻語の一行で、後者は長い散文小説中の一句であるから、前後・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・いずれにしてもありがたくない。帝王の歴史は悲惨の歴史である。 階下の一室は昔しオルター・ロリーが幽囚の際万国史の草を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左りの上へ乗せて鵞ペンの先を紙の上へ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここに至っては一場の夢に過ぎない。また世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろう・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫