・・・着ているのは、麻の帷子であろう。それに萎えた揉烏帽子をかけたのが、この頃評判の高い鳥羽僧正の絵巻の中の人物を見るようである。「私も一つ、日参でもして見ようか。こう、うだつが上らなくちゃ、やりきれない。」「御冗談で。」「なに、これ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・紋を染めた古帷子に何か黒い帯をしめた、武家の女房らしい女である。これはまだ三十代であろう。が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙に顔色が悪い。目のまわりも黒い暈をとっている。しかし大体の目鼻だちは美しいと言っても差支えな・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ 二十九日 朝から午少し前まで、仕事をしたら、へとへとになったから、飯を食って、水風呂へはいって、漫然と四角な字ばかり並んだ古本をあけて読んでいると、赤木桁平が、帷子の上に縞絽の羽織か何かひっかけてやって来た。 赤木は昔から・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子に長上下のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子もない。そこで安心して、暫く世間話をして・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ と、式台正面を横に、卓子を控えた、受附世話方の四十年配の男の、紋附の帷子で、舞袴を穿いたのが、さも歓迎の意を表するらしく気競って言った。これは私たちのように、酒気があったのでは決してない。 切符は五十銭である。第一、順と見えて、六・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・と娘が、つい傍に、蓮池に向いて、という膝ぎりの帷子で、眼鏡の下に内職らしい網をすいている半白の父を呼ぶと、急いで眼鏡を外して、コツンと水牛の柄を畳んで、台に乗せて、それから向直って、丁寧に辞儀をして、「ええ、浦安様は、浦安かれとの、その・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・一行三人いずれも白い帷子を着て、おまけに背中には「南無妙法蓮華経」の七字を躍らすなど、われながらあやしい装立ちだった。が、それで気がさすどころか、存外糞度胸ができてしまって、まるで村芝居にでも出るようなはしゃぎ方だった。 お前もおれも何・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・そうして翌朝になって銘々の絹帷子を調べ「少しも皺のよらざる女一人有」りそれを下手人と睨むというのがある。「身に覚なきはおのづから楽寝仕り衣裳付自堕落になりぬ。又おのれが身に心遣ひあるがゆへ夜もすがら心やすからず。すこしも寝ざれば勝れて一人帷・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・そのあとが少し化膿して痛がゆかったり、それが帷子でこすれでもすると背中一面が強い意識の対象になったり、そうした記憶がかなり鮮明に長い年月を生き残っている。そういうできそこねた灸穴へ火を点ずる時の感覚もちょっと別種のものであった。 一日分・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・この二度目の月と醤油との会合ははなはだ解決困難であるが、前の巻の初めに、史邦の「帷子」の発句と芭蕉の脇「籾一升を稲のこぎ賃」との次に岱水が付けた「蓼の穂に醤のかびをかき分けて」を付けているところを見ると、岱水の頭には何かしら醤油のようなもの・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫