・・・そうしてこういう時はちょっと風呂にでもはいって来ると全く生まれ変わったように常態に復する。 このような変化がどうして起こるかはわからないが、いちばん直接な原因はやはり血液の循環の模様が変わったために脳の物質にどうにか反応する点にあると素・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・もっとも健康な人は、そういういい心持ちが常態であってみれば、病後ででもない限りやはりそれを安易とも幸福とも自覚しないだろう。すると結局日常生活の仕事の上には、自分のようなものも健全な人も、からだの自覚から受ける影響はたいしたものではないかも・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・その次には、自分の浮気や得意はこの場限りで、もう少しすると平生の我に帰るのだが、ほかの人のは、これが常態であって、家へ帰っても、職務に従事しても、あれでやっているんだと己惚れます。すると自分はどうしてもここにいるべきではないとなる。宅へ帰っ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何でもかでも統一しようとあせる結果、また学者の常態として冷然たる傍観者の地位に立つ場合が多いため、ただ形式だけの統一で中味の統一にも何にもならない纏め方をして得意に・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・余はこの時すでに常態を失っている。 空濠にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とはこ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・近日又ゆっくり常態で書きますが、今日は文字通り同病の誼による御機嫌伺いを申します。[自注23]ベッドの上で手紙をおかきになる――病監には机がなく、ベッドの蒲団の上で手紙を書いていた。 十二月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・がひとしく句読点もない昔の物語風な文章の流麗さで持てはやされたことと思い合わせ、私は日本の老大家の完成と称するものの常態となっているような文学上の後ずさりを、意味ふかく考えるのである。 さらに我々の深い注意と観察を呼ぶことは、一方におい・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・妻の知識はいつも良人のそれよりは低いのが常態であり、常に、良人が上位から注ぐ思い遣り、労わり、一言に云えば人情に縋って生活する状態では、事実に於て、妻も良人も二人の人として肩を並べた心持は知り難いものではないかと危ぶまれます。 妻の要求・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・しかしその時のことを客観的に描写し、それを分析したり批判したりすることができたということは、漱石が決して意識の常態を失っていなかった証拠である。それを精神病と見てしまうのは、いくらか責任回避のきらいがある。一体にこの『漱石の思い出』は、漱石・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫