ひらたあつたね【平田篤胤】
[1776〜1843]江戸後期の国学者。国学の四大人の一。秋田藩士。旧姓、大和田。号、気吹之舎 (いぶきのや) ・真菅屋。通称、大角(大壑)。脱藩して本居宣長没後の門人と自称。宣長の古道精神を拡大強化、復古神道を鼓吹し、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。著「古史徴」「古道大意」など。
ひらたかねたね【平田銕胤】
[1799〜1880]幕末・明治初期の国学者・神道家。伊予の人。旧名、碧川篤実。平田篤胤の門人で、のち養子。維新後、侍講・大教正などを歴任。養父の学を祖述、整理補修した。著「祝詞正訓」。
ひらたし【平田市】
⇒平田
ひらたとうすけ【平田東助】
[1849〜1925]政治家。山形の生まれ。山県有朋系の有力官僚として、貴族院議員・法制局長官・枢密顧問官・農商務相・内相などを歴任。特に産業組合法の制定、同組合の育成に尽力。
ひらたとくぼく【平田禿木】
[1873〜1943]英文学者・随筆家。東京の生まれ。東京高師卒。本名、喜一郎。「文学界」創刊に参加。サッカレーの「虚栄の市」など英米文学の名訳で知られる。著作に「英文学印象記」「禿木随筆」など。
ひらたぶね【平田舟】
舟べりを低く舟底を平たくつくった丈長の川舟。上代から近世まで貨客の輸送に用いた。時代・地域により種類が多い。
ひらたゆきえ【平田靫負】
[1704〜1755]江戸中期の薩摩藩の家老。宝暦3年(1753)藩が幕府から命じられた木曽・長良・揖斐 (いび) 三川分流工事の総奉行となり、1年3か月で完成させたが、莫大な出費と多大な犠牲者を出したことの責任をとり、自刃。