・・・その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。 ――おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・その間に自分の生活はまるで気力の抜けた平衡を失したものに変わっていた。先ほども言ったように失敗が既にどこか病気染みたところを持っていた。書く気持がぐらついて来たのがその最初で、そうこうするうちに頭に浮かぶことがそれを書きつけようとする瞬間に・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた。だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというの・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 自然界の平衡状態は試験管内の科学的平衡のような簡単なものではない。ただ一種の小動物だけでも、その影響の及ぶところははかり知られぬ無辺の幅員をもっているであろう。その害の一端のみを見てただちにそのものの無用を論ずるのは、あまりにあさはか・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・そこで分泌が過剰でもなく過少でもない中間のある適当な段階のある範囲内にあるときが生理的に最も健全な状態で、そういう時に最も快適な平衡のとれた心情の動きを享有することが出来るのだと仮定する。 一方でまたこの分泌には一年を週期とする季節的変・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・ 地震が如何にして起るやは今もなお一つの疑問なれども、ともかくも地殻内部における弾性的平衡が破るる時に起る現象なるがごとし。これが起ると否とを定むべき条件につきては吾人いまだ多くを知らず。すなわち天気の場合における気象要素のごときものが・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ 自然界の平衡状態は試験管内の化学的平衡のような簡単なものではない。ただ一種の小動物だけでもその影響の及ぶところは測り知られぬ無辺の幅員をもっているであろう。その害の一端のみを見て直ちにその物の無用を論ずるのはあまりに浅はかな量見である・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 鳥の脚が変な処にくっついている、樹の上で鳥が力学的平衡を保ち得るかは疑問である。樹の幹や枝の弾性は果してその重量に堪え得るや否や覚束ない。あるいは藁苞のような恰好をした白鳥が湿り気のない水に浮んでいたり、睡蓮の茎ともあろうものが蓮のよ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・今にも太陽系の平衡が破れでもするように、またりんごが地面から天上に向かって落下する事にでもなるように考える人もありそうである。そしてそれが近代人の伝統破壊を喜ぶ一種の心理に適合するために、見当違いに痛快がられているようである。しかし相対原理・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・次には、この元素が化合して種々の言語や文章が組成されているが、これらの間にはその化合分解の平衡に関するきわめて複雑な方則のようなものがあると想像する。なおこれらの元素は必ずしも不変なものではなくて、たとえば放射性物質のごとく、時とともに自然・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
出典:青空文庫