・・・毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景物として出したが、この団扇に「景物にふくの団扇を奉る、おまめで年の市のおみやげ」という自作の狂歌を摺込んだ。この狂歌が呼び物となって、誰言うとなく淡島屋の団扇で餅を煽ぐと運が向いて来ると・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・窓の下、歳の市の売り出しにて、笑いさざめきが、ここまで聞えてまいります。おからだ御大事にねがいます。太宰治様。細野鉄次郎。」「罰です。女ひとりを殺してまで作家になりたかったの? もがきあがいて、作家たる栄光得て、ざまを見ろ、麻薬中毒者と・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ただ何となく軒端に菖蒲を葺いた郷国の古俗を想い浮べて、何かしら東西両洋をつなぐ縁の糸のようなものを想像したのであったが、後にまたウィーンの歳の暮に寺の広場で門松によく似た樅の枝を売る歳の市の光景を見て、同じような空想を逞しゅうしたこともあっ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・ 降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳の市が立って、安物のおもちゃや駄菓子などの露店が並びましたが、いつ行って見ても不景気でお客さんはあまり無いようでした。売り手のじいさんやばあさんも長い煙管を吹かしたり編み物をしているのでありました・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・や立ち去る事一里眉毛に秋の峰寒し門前の老婆子薪貪る野分かな夜桃林を出でゝ暁嵯峨の桜人五八五調、五九五調、五十五調の句およぐ時よるべなきさまの蛙かなおもかげもかはらけ/\年の市秋雨や水底の草を蹈み渉る茯・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫