・・・私が女学校四年生の時の事でしたが、お正月にひょっくり、小学校の沢田先生が、家へ年賀においでになって、父も母も、めずらしがるやら、なつかしがるやら、とても喜んでおもてなし致しましたが、沢田先生は、もうとっくに、小学校のほうはお止しになって、い・・・ 太宰治 「千代女」
数年前までは正月元旦か二日に、近い親類だけは年賀に廻ることにしていた。そうして出たついでに近所合壁の家だけは玄関まで侵入して名刺受けにこっそり名刺を入れておいてから一遍奥の方を向いて御辞儀をすることにしていたのであるが、い・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・ それでも彼が二十六の歳に学校を卒業してどうやら一人前になってから、始めて活版刷の年賀端書というものを印刷させた時は、彼相応の幼稚な虚栄心に多少満足のさざなみを立てたそうである。しかし間もなくそれが常習的年中行事となると、今度はそれが大・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・その夏を限りに自分はこの土地を去って東京に出たが、翌年の夏初めごろほとんど忘れていた吉住の家から手紙が届いた。娘が書いたものらしかった。年賀のほかにはたよりを聞かせた事もなかったが、どう思うたものか、こまごまとかの地の模様を知ら・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・たとえ生きていてももう再び会う事があるかどうかもわからず、通り一ぺんの年賀や暑中見舞い以外に交通もない人は、結局は思い出の国の人々であるにもかかわらず、その死のしらせはやはり桐の一葉のさびしさをもつものである。 雑記帳の終わりのページに・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・日本やドイツの誰彼に年賀の絵端書を書きながら罎詰のミュンシナーを飲んでいるうちに眠くなって寝てしまった。 明くれば元旦である。ヴェスヴィオ行きの準備をして玄関へ出ると、昨日のポルチエーが側へ来て人の顔を見つめて顔をゆがめてそうして肩をす・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ユリコ・チュージョーヨシ・ユアサ〕 一九三八年一月十二日〔市外小金井町一三九二 笹本寅宛 小石川より〕 御年賀をありがとう存じました。なかなか烈風吹きすさぶ新春です何卒御自愛下さい。宮本百合子 一九四・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・ 年始に来る者も来る者も女まで、赤い顔をして居る。皆それぞれさっぱりした装をして袴をはいて居るのもある。いつになく儀式ばった様子で来るので箸のあげ下しにも気を用って居る様に見える。 年賀の言葉なんかも半分位云って後はのみ込んで仕舞う・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫