・・・刺激に対して急劇な反応を示さないのはこの男の天分であるが、それにしても彼の年齢と、この問題の性質から一般的に見たところで、重吉の態度はあまり冷静すぎて、定量未満の興味しかもちえないというふうに思われた。自分は少し不審をいだいた。 元来自・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・だがその代りに、詩は年齢と共に拙くなって来た。つまり僕は、次第に世俗の平凡人に変化しつつあるのである。これは僕にとって、嘆くべきことか祝福すべきことか解らない。 その上にまた、最近家庭の事情も変化した。僕は数年前に妻と離別し、同時にまた・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・人事の失望は十に八、九、弟は兄の勝手に外出するを羨み、兄は親爺の勝手に物を買うを羨み、親爺はまた隣翁の富貴自在なるを羨むといえども、この弟が兄の年齢となり、兄が父となり、親爺が隣家の富を得るも、決して自由自在なるに非ず、案に相違の不都合ある・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
遺言状一 余死せば朝日新聞社より多少の涙金渡るべし一 此金を受取りたる時は年齢に拘らず平均に六人の家族に頭割りにすべし例せば社より六百円渡りたる時は頭割にして一人の所得百円となる計算也一 此分配法ニ・・・ 二葉亭四迷 「遺言状・遺族善後策」
・・・娘の去るや否や、一人の男直に代りて入来る。年齢はおよそ主人と同じ位なり。旅路にて汚れたりと覚しき衣服を纏いいる。左の胸に突込んだるナイフの木の柄現われおる。この男舞台の真中男。はあ。君はまだこの世に生きているな。永遠の洒落者め。君はまだ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ それですから、烏の年齢を見分ける法を知らない一人の子供が、いつか斯う云ったのでした。「おい、この町には咽喉のこわれた烏が二疋いるんだよ。おい。」 これはたしかに間違いで、一疋しか居りませんでしたし、それも決してのどが壊れたので・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・この二人の年齢のちがう母親たちは、互いに母と娘とで、二人ながらこの「デゲテ」工場に働いている婦人労働者なのであった。「わたしはもう自分の末の子を二人ともここで育てて貰ったんですよ。……今度は私の娘が初めての子供をつれて来る番になったわけ・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・永禄三年五月二十日今川殿陣亡遊ばされ候時、景通も御供いたし候。年齢四十一歳に候。法名は千山宗及居士と申候。 父才八は永禄元年出生候て、三歳にして怙を失い、母の手に養育いたされ候て人と成り候。壮年に及びて弥五右衛門景一と名告り、母の族なる・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・だが、そのとき彼自身の年齢は最早四十一歳の坂にいた。彼は自身の頑癬を持った古々しい平民の肉体と、ルイザの若々しい十八の高貴なハプスブルグの肉体とを比べることは淋しかった。彼は絶えず、前皇后ジョセフィヌが彼から圧迫を感じたと同様に、今彼はハプ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・だから五年後に家康が政権を握ったときには、彼は、秀吉が征明の役を起こした時と同じ年齢であったが、秀吉とは全然逆に、学問の奨励をもっておのれの時代を始めたのである。慶長四年の『孔子家語』、『六韜三略』の印行を初めとして、その後連年、『貞観政要・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫