詩や、空想や、幻想を、冷笑する人々は、自分等の精神が、物質的文明に中毒したことに気付かない人達です。人間は、一度は光輝な世界を有していたことがあったのを憫れむべくも自ら知らない不明な輩です。 芸術は、ほんとうに現実に立脚するもので・・・ 小川未明 「『小さな草と太陽』序」
・・・奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・もともとあの役人の身の上も、全く私の病中の空想の所産で、実際の見聞で無いのは勿論であるが、次の短篇小説の主人公もまた、私の幻想の中の人物に過ぎない。 ……それは、全く幸福な、平和な家庭なんだ。主人公の名前を、かりに、津島修治、とでもして・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・それを家内が、どういうものだか、仙台平だとばかり思っている様子だから、今更、その幻想をぶち壊すのも気の毒で、私は、未だにその実相を言えないで居るのである。その袴を、はいて行きたかった。私にとって、せめて錦衣のつもりなのであった。「おい、・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ 言いかえれば、これは作者の一夜の幻想に端を発しているのである。 けれども、その美談は決して嘘ではない。たしかに、そのような事実が、この世に在ったのである。 ここに作者の幻想の不思議が存在する。事実は、小説よりも奇なり、と言う。・・・ 太宰治 「一つの約束」
チャイコフスキーの「秋の歌」という小曲がある。私はジンバリストの演奏したこの曲のレコードを持っている。そして、折にふれて、これを取り出して、独り静かにこの曲の呼び出す幻想の世界にわけ入る。 北欧の、果てもなき平野の奥に・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・そうして激昂する心を抑えてピアノの前に坐り所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変になって来て、急に嵐のような幻想曲を弾き出す、その狂熱的な弾奏者の顔のクローズアップに重映されて祖国の同志達の血潮に彩られた戦場の光景が夢幻のごと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・しかしあのろうそくの炎の不定なゆらぎはあらゆるものの陰影に生きた脈動を与えるので、このグロテスクな影人形の舞踊にはいっそう幻想的な雰囲気が付きまとっていて、幼いわれわれのファンタジーを一種不思議な世界へ誘うのであった。 ジャヴァの影人形・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・雪の夜の銀座はいつもの人間臭いほこりっぽい現実性を失って、なんとなくおとぎ話を思わせるような幻想的な雰囲気に包まれる。町の雑音までが常とは全くちがった音色を帯びて来る。ショウウィンドウの中の品々が信じ難いような色彩に輝いて見えるのである。そ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・というものはよほど特別に八雲氏の幻想に訴えるものが多かったと見えて、この集中にも、それの素描の三つのヴェリエーションが載せられている。その一つは夫人、もう一つは当時の下婢の顔を写したものだそうである。前者の口からかたかなで「ケタケタ」という・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
出典:青空文庫