・・・弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・それはとにかく彼がミュンヘンの小学で受けたローマカトリックの教義と家庭におけるユダヤ教の教義との相対的な矛盾――因襲的な独断と独断の背馳が彼の幼い心にどのような反応を起させたか、これも本人に聞いてみたい問題である。 この時代の彼の外観に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ この地勢と同じように、私の幼い時の幸福なる記憶もこの伝通院の古刹を中心として、常にその周囲を離れぬのである。 諸君は私が伝通院の焼失を聞いていかなる絶望に沈められたかを想像せらるるであろう。外国から帰って来てまだ間もない頃の事確か・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・澁い枳の実は霜の降る度に甘くなって、軈て四十雀のような果敢ない足に踏まれても落ちるようになる。幼いものは竹藪へつけこんでは落ち葉に交って居る不格好な実を拾っては噛むのである。太十も疱瘡に罹るまでは毎日懐へ入れた枳の実を噛んで居た。其頃はすべ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 彼女は熱い鉄板の上に転がった蝋燭のように瘠せていた。未だ年にすれば沢山ある筈の黒髪は汚物や血で固められて、捨てられた棕櫚箒のようだった。字義通りに彼女は瘠せ衰えて、棒のように見えた。 幼い時から、あらゆる人生の惨苦と戦って来た一人・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・家君さんが気抜けのようになッたと言うのに、幼稚い弟はあるし、妹はあるし、お前さんも知ッてる通り母君が死去のだから、どうしても平田が帰郷ッて、一家の仕法をつけなければならないんだ。平田も可哀そうなわけさ」「平田さんがお帰郷なさると、皆さん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その時の幼い滑稽絵師が今の為山君である。○僕に絵が画けるなら俳句なんかやめてしまう。〔『ホトトギス』第三巻第五号 明治33・3・10〕 正岡子規 「画」
・・・ 人間の社会には、いろいろの行きちがい、矛盾、醜いことがあるけれども、最後のところへゆけば、人間は道理に従って生きるものである、という、動かすことの出来ない天下の真理を、稚い心のうちに明るく、しっかりと植えつけてやらなければなりません。・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸を埋めた。あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・わたくしは農村に生まれて、この歌集に歌われているような風物のなかで育ったものであるが、幼いころに心に烙きついたまま忘れるともなしに忘れ去っていたさまざまの情景を、先生の歌によって数限りなく思い出した。たとえば、蓮華草この辺にもとさが・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫