・・・彼は六十を越しても三四十代のもの、特に二十代のものとのみ交って居た。彼の年輩のものは却て彼の相手ではない。彼は村には二人とない不男である。彼は幼少の時激烈なる疱瘡に罹った。身体一杯の疱瘡が吹き出した時其鼻孔まで塞ってしまった。呼吸が逼迫して・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな」と云って、旗を担いで往来を歩いて来たのもありました。子供の時分ですからその声を聞くと、ホラ来たと云って逃げ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升とかいう名をしばしば耳にした事を覚えている。それから猿若町に芝居小屋がたくさんあったかのように、何となく夢ながら承知している。しかも、あとから聞くと訥升が贔屓だったという話であるから驚ろく。それはおおかた・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・其然る所以は何ぞや。幼少の時より家庭の教訓に教えられ又世間一般の習慣に圧制せられて次第に萎縮し、男子の不品行を咎むるは嫉妬なり、嫉妬は婦人の慎しむべき悪徳なり、之を口に発し色に現わすも恥辱なりと信じて、却て他の狂乱を許して次第に増長せしむる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・就中幼少の時、見習い聞き覚えて習慣となりたることは、深く染み込めて容易に矯め直しの出来ぬものなり。さればこそ習慣は第二の天性を成すといい、幼稚の性質は百歳までともいう程のことにて、真に人の賢不肖は、父母家庭の教育次第なりというも可なり。家庭・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ 彼は、印度人で、幼少の時から英国で教育され、今はボストン博物館で、東洋美術部の部長か何かをしながら、印度芸術の唯一の紹介者として世界的な人物になっているのである。 面長な、やや寥しい表情を湛えた彼が、二階の隅の、屋根の草ほか見えな・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
私は東京で生れた。母は純粋な江戸っ子である。けれども、父が北国の人で、私も幼少の頃から東北の田園の風景になれている故か、私の魂の裡にはやみ難い自然への郷愁がある。それも、南国の強烈な日光は求めず、日本の北の、澄んだ、明るい・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・嫡子のある限りは、いかに幼少でもその数には漏れない。未亡人、老父母には扶持が与えられる。家屋敷を拝領して、作事までも上からしむけられる。先代が格別入懇にせられた家柄で、死天の旅のお供にさえ立ったのだから、家中のものが羨みはしても妬みはしない・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・御臨終の砌、嫡子六丸殿御幼少なれば、大国の領主たらんこと覚束なく思召され、領地御返上なされたき由、上様へ申上げられ候処、泰勝院殿以来の忠勤を思召され、七歳の六丸殿へ本領安堵仰附けられ候。 某は当時退隠相願い、隈本を引払い、当地へ罷越候え・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・しかるに幼少のころから、他人の感情を害すまい、他人の誤解を受けまいというふうな用心によって、卒直な感情の表出を統制するように訓練されて来たとなると、右のような態度そのものが、何となく浅はかなような、奥ゆかしさを欠いたものとして感ぜられるよう・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫