・・・ニイチェの驚異は、一つの思想が幾つも幾つもの裏面をもち、幾度それを逆説的に裏返しても、容易に表面の絵札が現れて来ないことである。我々はニイチェを読み、考へ、漸く今、その正しい理解の底に達し得たと安心する。だがその時、もはやニイチェはそれを切・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・二人は幾つかの角を曲った挙句、十字路から一軒置いて――この一軒も人が住んでるんだか住んでいないんだか分らない家――の隣へ入った。方角や歩数等から考えると、私が、汚れた孔雀のような恰好で散歩していた、先刻の海岸通りの裏辺りに当るように思えた。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 社会主義を抱かせるに関係のあった露国の作家は、それは幾つもあった。ツルゲーネフの作物、就中『ファーザース・エンド・チルドレン』中のバザーロフなんて男の性格は、今でも頭に染み込んでいる。その他チェルヌイシェーフスキー、ヘルツェン、それか・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・文士や画家や彫塑家の寄合所になっていた、小さい酒店が幾つもあったが、それがたいてい閉店してしまって、そこに出入していた人達は、今では交際社会の奢った座敷に出入している。新進文士でも二三の作が少し評判がいいと、すぐに住いや暮しを工面する。ちょ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 白い火山灰層のひとところが、平らに水で剥がされて、浅い幅の広い谷のようになっていましたが、その底に二つずつ蹄の痕のある大さ五寸ばかりの足あとが、幾つか続いたりぐるっとまわったり、大きいのや小さいのや、実にめちゃくちゃについているではあ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・綜合雑誌の読者はこれらの作家によって書かれた報告的な文章を立てつづけて幾つかよまされているのであるが、果してこれ等のルポルタージュがニュース映画をその文学の特殊性によって凌駕しているという印象を与えつつあるだろうか。 ルポルタージュは観・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ 真赤なリボンの幾つかが燃える。 娘の一人が口に銜んでいる丹波酸漿を膨らませて出して、泉の真中に投げた。 凸面をなして、盛り上げたようになっている水の上に投げた。 酸漿は二三度くるくると廻って、井桁の外へ流れ落ちた。「あ・・・ 森鴎外 「杯」
・・・「もうそんなになるかいな、幾つやな、そうすると四十?」「四十二や。」「四十二か。まあ厄年やして。」「厄年や、あかん、今年やなんでも厄介にならんならん。」「そうか、四十二か、まアそこへ掛けやえせ。そして、亀山で酒屋へ這入っ・・・ 横光利一 「南北」
・・・そして帽を脱いだ。 頭の上の菩提樹の古木の枝が、静かに朝風に戦いでいる。そして幾つともなく、小さい、冷たい花をフィンクの額に吹き落すのである。 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・を捜しに行くのもいいが、我々の脚元に埋もれてゐる宝を忘れてはならないと思ふ。」 寺田さんはその「我々の脚元に埋もれてゐる宝」を幾つか掘り出してくれた人である。 和辻哲郎 「寺田寅彦」
出典:青空文庫