・・・しかし、それにも関らず、彼の心からは、今までの春の温もりが、幾分か減却したような感じがあった。 事実を云えば、その時の彼は、単に自分たちのした事の影響が、意外な所まで波動したのに、聊か驚いただけなのである。が、ふだんの彼なら、藤左衛門や・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ Mは膝ほどある水の中に幾分か腰をかがめたなり、日に焼けた笑顔をふり向けて見せた。「君もはいれよ。」「僕は厭だ。」「へん、『嫣然』がいりゃはいるだろう。」「莫迦を言え。」「嫣然」と言うのはここにいるうちに挨拶ぐらいは・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・烏滸がましゅうござりますが、従って手前どもも、太夫様の福分、徳分、未曾有の御人気の、はや幾分かおこぼれを頂戴いたしたも同じ儀で、かような心嬉しい事はござりませぬ。なおかくの通りの旱魃、市内はもとより近郷隣国、ただ炎の中に悶えまする時、希有の・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・窓の外を、この時は、幾分か、その数はまばらに見えたが、それでも、千や二千じゃない、二階の窓をすれすれの処に向う家の廂見当、ちょうど電信、電話線の高さを飛ぶ。それより、高くもない。ずっと低くもない。どれも、おなじくらいな空を通るんだがね、計り・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 永久なる眠りも冷酷なる静かさも、なおこのままわが目にとどめ置くことができるならば、千重の嘆きに幾分の慰藉はあるわけなれど、残酷にして浅薄な人間は、それらの希望に何の工夫を費さない。 どんなに深く愛する人でも、どんなに重く敬する人で・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・恋は盲目だという諺もあるが、お繁さんに於ける予に恋の意味はない筈なれども、幾分盲目的のところがあったものか、とにかく学生時代の友人をいつまで旧友と信じて、漫に訪問するなどは警戒すべきであろう。聞けば渋川も一寸の事ではあるが大いに不快であった・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・その結果が沼南のイツモ逆さに振って見せる蟇口から社を売った身代金の幾分を吐出して目出たく無事に落着したそうだ。そうかと思うと一方には、代がわりした『毎日新聞』の翌々日に載る沼南署名の訣別の辞のゲラ刷を封入した自筆の手紙を友人に配っている。何・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・であるから貸本屋の常得意の隠居さんや髪結床の職人や世間普通の小説読者よりは広く読んでいたし、幾分かは眼も肥えていた。であるから坪内君の『書生気質』を読んでも一向驚かず、平たくいうと、文学士なんてものは小説を書かせたら駄目なものだと思っていた・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ある日、草は、今日はばかに夜が早く明けたなと思って、目を開きますと、長い間待ちこがれた太陽の光が、はや幾分か自分の体に当たっているのに気づきました。 草はこおどりをして喜びました。そのうちに太陽は、にこやかな円い顔で、頭の上をのぞきまし・・・ 小川未明 「小さな草と太陽」
・・・ この前よりも、海豹は幾分痩せて見えました。そして、悲しそうに空を仰いで、「さびしい! まだ、私の子供は分りません。」と言って、月に訴えたのであります。 月は青白い顔で海豹を見ました。その光は、あわれな海豹の体を青白くいろどった・・・ 小川未明 「月と海豹」
出典:青空文庫