・・・ じゃどこかほかへ載せて貰います。広い世の中には一つくらい、わたしの主張を容れてくれる婦人雑誌もあるはずですから。 保吉の予想の誤らなかった証拠はこの対話のここに載ったことである。・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・彼はそこを飛び出して行って畑の中の広い空間に突っ立って思い存分の呼吸がしたくてたまらなくなった。壁訴訟じみたことをあばいてかかって聞き取らねばならないほど農場というものの経営は入り組んでいるのだろうか。監督が父の代から居ついていて、着実で正・・・ 有島武郎 「親子」
・・・別荘の周囲が何となく何時もより広いような心持がする。 その内全く夜になった。犬は悲しげに長く吠えた。その声はさも希望のなさそうな、単調な声であった。その声を聞くものは、譬えば闇の夜が吐く溜息を聞くかと思った。その声を聞けば、何となく暖か・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・「そうかい、此家は広いから、また迷児にでもなってると悪い、可愛い坊ちゃんなんだから。」とぴたりと帯に手を当てると、帯しめの金金具が、指の中でパチリと鳴る。 先刻から、ぞくぞくして、ちりけ元は水のような老番頭、思いの外、女客の恐れぬを・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 水の溜ってる面積は五、六町内に跨がってるほど広いのに、排水の落口というのは僅かに三か所、それが又、皆落口が小さくて、溝は七まがりと迂曲している。水の落ちるのは、干潮の間僅かの時間であるから、雨の強い時には、降った水の半分も落ちきらぬ内・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・おかみさんは下女同様な風をして、広い台どころで働いていた。僕の坐ったうしろの方に、広い間が一つあって、そこに大きな姿見が据えてある。お君さんがその前に立って、しきりに姿を気にしていた。畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 本所を引払って、高等学校の先きの庭の広いので有名な奥井という下宿屋の離れに転居した頃までは緑雨はマダ紳士の格式を落さないで相当な贅をいっていた。丁度上田万年博士が帰朝したてで、飛白の羽織に鳥打帽という書生風で度々遊びに来ていた。緑雨は・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・と、独り言をして、いつまでも聞いていますと、そのうちに日がまったく暮れてしまって、広い地上が夜の色に包まれて、だんだん星の光がさえてくる時分になると、いつともなしに、その音色はかすかになって、消えてしまうのでありました。 また明くる・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・盛んに米や雑穀の相場が立っている。広い会所の中は揉合うばかりの群衆で、相場の呼声ごとに場内は色めきたつ。中にはまた首でも縊りそうな顔をして、冷たい壁に悄り靠れている者もある。私もそういう人々と並んで、さしあたり今夜の寝る所を考えた。場内の熱・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・いる路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の巻物をくわえた石の狐を売る店があったり、簔虫の巣でつくった銭入れを売る店があったり、赤い硝子の軒灯に家号を入れた料理仕出屋があったり、間口の広い油屋があったり、赤い暖簾の隙間から、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫