・・・ キャラメルの広告塔の出ている海の方へ、流川通を下って行った。道を折れ、薄暗い電燈のともっている市営浴場の前を通る時、松本はふと言った。「こんなところにいるとは知らなんだな」 東京へ行った由噂にきいてはいたが、まさか別府で落ちぶ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・祭礼かと見まごうばかりにぎやかに飾り立てたある書店の前の広告塔が目につく。私は次郎や末子にそれを指して見せた。「御覧、競争が始まってるんだよ。」 紅い旗、紅い暖簾は、車の窓のガラスに映ったり消えたりした。大量生産の機運に促されて、廉・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・それがちょうどたとえば仕掛け花火か広告塔のイルミネーションでも見るような気がしてならないのである。つまり身にしみるような宣伝はわりに少ない。 善い事だから宣伝しなければならないという強い信念の下にすべての宣伝は行なわるべきものであろう。・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・その側面を広告塔にすれば気球広告よりも有効で、その料金で建設費はまもなく消却されるであろう。高い所に上がりたがるのは人間というものに本能的な欲望である。この欲望は赤ん坊の時からすでに現われる。自分が四歳の時に名古屋にいたころのかすかな思い出・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ ┌───────────────┐ │子供をぶつな │ │ ぶつ前に子供の友に相談しろ│ └───────────────┘ モスクワ市中の壁や広告塔に近頃そういうプラカートがしきりに見え・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ 深い夕靄の空に広告塔の飾光がつややかに燦くにつれ、私の胸の中にはその謡の幼い、単調な、其故却って物悲しい音律が、ロシア婦人の帽子の動きに縺れて響いて来た。 其位なら何故、私は、彼女のそばによって、一つの銀貨と引かえに、不用な画帖を・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・俄かな宵闇に広告塔のイルミネイションや店頭の明りばかり目立ち、通行人の影は薄墨色だ。模糊とした雑踏の中を、はる子は郊外電車の発着所に向いて歩いていた。そこは、市電の終点で、空の引かえしが明るく車内に電燈を点して一二台留っていた。立ち話をして・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・高い建物、広告塔、アンテナ、其等の錯綜した線に切断され、三角の空、ゆがんだ六角の空、悲しい布の切端のような空がある。 屋根と屋根との狭いすき間からマリが落ちたような月の見える細長い夜の空、郊外の空にない美があるのを感じる。〔一九二六・・・ 宮本百合子 「空の美」
出典:青空文庫