・・・と言葉つき不思議なるを、国はと問えば広島近在のものなる由。飾り気一点なきも樸訥のさま気に入りてさま/″\話しなどするうち京都々々と呼ぶ車掌の声にあわたゞしく下りたるが群集の中にかくれたり。京に入りて息子とかの宿に行くまでの途中いさゝか覚束な・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・高知や広島で夕風が例外であると同様である。 どうして高知や瀬戸内海地方で夏の夕凪が著しく、東京で夏の夕風が発達しているか、その理由を明らかにしたいと思って十余年前にK君と共同で研究してみたことがあった。それには日本の沿岸の数箇所の測候所・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・広島を平和都市に!長崎を国際都市に!ノーモア・ヒロシマズ! ついこの間までラジオは、やさしい抑揚をつけてそう語った。被原爆地に、眼病のなかでも不治とされる「そこひ」が発生していると報ぜられている。 日本の一部の人・・・ 宮本百合子 「いまわれわれのしなければならないこと」
・・・鈴木文史朗という新聞記者だったものがアメリカまで行ったあげくなおこういうものいいをするぐらいなのだから、日本人の残虐性は根づよいと思わずにいられまい。広島の平和都市、長崎の国際都市建設案を、議会満場一致で賛成、感謝したところで、民間人の代表・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
・・・ あなたに申し上げるのを忘れましたが、この間達治さんが広島へ入営したとき、私がお送りした御餞別の僅かな金で、黄色いメリンスの幟をおつくりになりました由。その手紙をお母様からいただき、私はいろいろ感服いたしました。 私の机の上に一寸想・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・一九四五年八月六日広島の原爆当日、三度目の応召で入隊中行方不明となった。同年十二月死去の公報によって葬儀を営んだ。十月十日に網走刑務所から解放されて十二年ぶりで東京にかえった顕治と百合子が式に列した。[自注12]国男夫婦――百合子の弟夫・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・そちらへも広島から隆治さんの葉書はきましたか。こちらへ一昨日もらいました。何んてよかったでしょう。お母さんもこれでいいお正月がお出来です。私達同胞は運のいい方ですね。お母さんもお幸せな方です、本当に嬉しいと思う。 厚い方のどてらはもう一・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・八月六日広島に、九日長崎に原子爆弾がおちた。広島に応召中だった宮本の弟達治が負傷し、死んだが死体はみつからなかった。八月十五日の正午、天皇はラジオで日本の無条件降伏を宣言した。ポツダム宣言は受諾された。急速な武装解除が行われた。九月〔二・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 重吉の弟の直次は、広島で戦死したのであった。 三 遠い郊外へ出勤する重吉の外出が、段々規則的になり、来客が益々ふえ、隠されていた歴史の水底から一つの動きが、渦巻きながらその秋の日本の社会の表面に上昇しはじ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・そこを三日捜して、舟で安芸国宮島へ渡った。広島に八日いて、備後国に入り、尾の道、鞆に十七日、福山に二日いた。それから備前国岡山を経て、九郎右衛門の見舞旁姫路に立ち寄った。 宇平、文吉が姫路の稲田屋で九郎右衛門と再会したのは、天保六年乙未・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫