・・・窓が高くて背が足りぬ。床几を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠れる犬の生血にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるな・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・指南車を胡地に引き去るかすみかな閣に坐して遠き蛙を聞く夜かな祇や鑑や髭に落花を捻りけり鮓桶をこれへと樹下の床几かな三井寺や日は午に逼る若楓柚の花や善き酒蔵す塀の内耳目肺腸こゝに玉巻く芭蕉庵採蓴をうたふ彦根・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 長い木のテーブルに、何人もかけられるような床几がおいてある。みんなは学級順に年下の者を前にして腰をかける。大きい角テーブルがあって、そこにアルミニュームの鉢、サジなどがキレイにうんと積み重ねてある。 私たちは、一番年下の級の子供た・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・ 工場クラブの広間には床几が並んでいる。赤い布のかかったテーブルがある。 ぞくぞく陽気な婦人労働者が入って来た。てんでに床几へかける。メーラがジャケットのポケットへ両手を突こんで、やって来て、赤い布のかかったテーブルの前へ坐った。・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・外見は立派な役所に似ず薄暗いきたないところに床几が並んでいます。そこにもう二十人近い男女のひとが来ていましたが、初めてこういうところへ来て私が珍しく感じたことは、来ている人の多くが元気な眼つきをして互に挨拶したり話しをしたりして、ちっとも普・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・暫くして今度は自分が高等によび出され、正面に黒板のある警官教室みたいなところを通りがかると、沢山並んでいる床几の一つに娘さんがうなだれて浅く腰かけ、わきに大島の折目だった着物を着た小商人風の父親が落着かなげにそっぽを向きながらよそ行きらしく・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・一番戸に近い側の女たちは、後の本棚と机との狭い間できゅうくつそうに床几にかけ、しかもそんなことには頓着しない風で、一生懸命手帳に何か書いている。 質素な服装。がっしりした肩つきだ。若いの、中年の、いれまじった顔は、どれも自分たちの思考力・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・奥に家族の寝台がある土間に床几と卓を並べ、燻る料理ストーブが立っているわきの壁に、羊の股肉とニンニクの玉とがぶら下っている。そういう風なのである。 バクー名所の一つである九世紀頃のアラビア人の防壁を見物して、磨滅した荒い石段々を弾む足ど・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ 行って見ますと、寒くは有るし正月では有るしと云うので店を閉めて、よくお茶等を飲んだ床几なども足を外に向けて高い所に吊りあげて仕舞ってありました。失望は仕ましたものの、前に幾度もお煎餅を食べたりした所だと云う事は少なからず弟の気を引き立・・・ 宮本百合子 「小さい子供」
・・・の少女が首に手拭をむすび裾をはし折って花見の人が去った後の緋モーセンの床几の上へ一人、すねを並べて足袋をつき出しているところが描かれている。この小さい諷刺的な絵は、感覚的な効果をもって日本の下層階級生活の貧困と猥雑さとその日暮しの感じとを、・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
出典:青空文庫