・・・その裏藪から、蚊帳を吊った座敷がまる見えでした。ラヂオがあると見えて、音楽がきこえます。蚊に食われながら聴いていると、やがてそれがすんで、次に落語の放送でした。が、アナウンサーの紹介を聴いたとたん、私は思わず涙を落しました。出演者は思いもか・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 連日の汗を旅館の温泉に流して、夕暮れの瀬川の音を座敷から聴いて、延びた頤髯をこすりながら、私はホッとした気持になって言った。「まあこれで、順序どおりには行ったし、思ったよりも立派にできた方ですよ。第一公式なんかの滑稽はかまわないと・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・そんな間から所どころ、電燈をつけた座敷が簾越しに見えていた。レストランの高い建物が、思わぬところから頭を出していた。四条通はあすこかと思った。八坂神社の赤い門。電燈の反射をうけて仄かに姿を見せている森。そんなものが甍越しに見えた。夜の靄が遠・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・新たに来たる離座敷の客は耳を傾けつ。 糸につれて唄い出す声は、岩間に咽ぶ水を抑えて、巧みに流す生田の一節、客はまたさらに心を動かしてか、煙草をよそに思わずそなたを見上げぬ。障子は隔ての関を据えて、松は心なく光琳風の影を宿せり。客はそのま・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・豊吉はお花が土蔵の前の石段に腰掛けて唱う唱歌をききながら茶室の窓に倚りかかって居眠り、源造に誘われて釣りに出かけて居眠りながら釣り、勇の馬になッて、のそのそと座敷をはいまわり、馬の嘶き声を所望されて、牛の鳴くまねと間違えて勇に怒られ、家じゅ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 彼が少しばかりの砂糖を新聞紙の切れに包んで分けてやると、姉と弟とは喜んで座敷の中をとび/\した。「せつよ、お父うに砂糖を貰うた云うて、よそへ行て喋るんじゃないぞ!」 妻は、とびまわる子供にきつい顔をして見せた。「うん。」・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・古びて歪んではいるが、座敷なんぞはさすがに悪くないから、そこへ陣取って、毎日風呂を立てさせて遊んでいたら妙だろう。景色もこれという事はないが、幽邃でなかなか佳いところだ。という委細の談を聞いて、何となく気が進んだので、考えて見る段になれば随・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・行かぬも憂しと肚のうちは一上一下虚々実々、発矢の二三十も列べて闘いたれどその間に足は記憶ある二階へ登り花明らかに鳥何とやら書いた額の下へついに落ち着くこととなれば六十四条の解釈もほぼ定まり同伴の男が隣座敷へ出ている小春を幸いなり貰ってくれと・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・二部屋あるその宿屋の離れ座敷を借り切って、太郎と次郎の二人だけをそこから学校へ通わせた。食事のたびには宿の女中がチャブ台などを提げながら、母屋の台所のほうから長い廊下づたいに、私たちの部屋までしたくをしに来てくれた。そこは地方から上京するな・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 座敷へ上っても、誰も出てくるものがないから勢がない。廊下へ出て、のこのこ離れの方へ行ってみる。麓の家で方々に白木綿を織るのが轡虫が鳴くように聞える。廊下には草花の床が女帯ほどの幅で長く続いている。二三種の花が咲いている。水仙の一と株に・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫