・・・普通は、本堂に、香華の花と、香の匂と明滅する処に、章魚胡坐で構えていて、おどかして言えば、海坊主の坐禅のごとし。……辻の地蔵尊の涎掛をはぎ合わせたような蒲団が敷いてある。ところを、大木魚の下に、ヒヤリと目に涼しい、薄色の、一目見て紛う方なき・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座禅をしたのが椿岳の最後の奇の吐きじまいであった。 臨終は明治二十二年九月二十一日であった。牛島の梵雲庵に病んでいよいよ最後の息を引取ろうとするや、呵々大笑して口吟んで曰く、「今まではさまざまの事・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・されど味のわろからぬまま喰い尽しけるに、半里ほど歩むとやがて腹痛むこと大方ならず、涙を浮べて道ばたの草を蓐にすれど、路上坐禅を学ぶにもあらず、かえって跋提河の釈迦にちかし。一時ばかりにして人より宝丹を貰い受けて心地ようやくたしかになりぬ。お・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・禅に志して坐禅をやったことがあったが、そこにも求めるものは得られなかった。晩年には真宗の教義にかなり心を引かれていたそうである。 学生時代には柔道もやり、またボートの選手で、それが舵手であったということに意義があるように思われる。弓術も・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・彼らは見性のため究真のためすべてを抛って坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味にも世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります。したがって彼らはその苦行難行に対して世間か・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・跛で結伽のできなかった大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着なく座禅のまま往生したのも一例であります。分化はいろいろできます。しかしその標準を云うとまず荘厳に対する情操と云うて・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・おい君湯に行こう、僕は水を被る、君散歩に行かないか、俺は行かない座禅をする、君飯を食わんか、僕はパンを食う、そういうようなインデペンデントな人になっては手が付けられない。到底一緒に住む事は困難である。しかし人に困難を与えるから気の毒な感じが・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫