・・・奥さんはいよいよたじろきながら、こう弁明し掛けた。 フレンチの胸は沸き返る。大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。「そりゃあ己だって無論好い心持・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・十数年以往文壇と遠ざかってからは較や無関心になったが、『しがらみ草紙』や『めざまし草』で盛んに弁難論争した頃は、六号活字の一行二行の道聴塗説をさえも決して看過しないで堂々と論駁もするし弁明もした。 それにつき鴎外の性格の一面を窺うに足る・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・緑雨の愚痴は壱岐殿坂時代から初まったが、それ以後失意となればなるほど世間の影口に対する弁明即ち愚痴がいよいよ多くなった。私が緑雨と次第に疎遠になったのは緑雨の話柄が段々低級になって嫌気がさしたからであるが、一つは皮肉の冴を失った愚痴を聞くの・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・畢竟するに馬琴が頻りに『水滸』の聖嘆評を難詰屡々するは『水滸』を借りて自ら弁明するのではあるまいか。 だが、この両管領との合戦記は、馬琴が失明後の口授作にもせよ、『水滸伝』や『三国志』や『戦国策』を襲踏した痕が余りに歴々として『八犬伝』・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・と打消し、そこそこに博士の家を辞するや否、直ぐその足で私の許を訪い、「今、坪内君から聞いて来たが、君はこうこういったそうだ。飛んでもない誤解で、毛頭僕はそんな事を考えた事はない、」と弁明した。復た例の癖が初まったナと思いつつも、二葉亭の権威・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 風説は風説を生じ、弁明は弁明を産み、数日間の新聞はこの噂の筆を絶たなかったが、いくばくもなく風説の女主人公たる貴夫人の夫君が一足飛びの栄職に就いたのが復たもや疑問の種子となって、喧々囂々の批評が更に新らしく繰返された。 が、風説は・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・恥しいものですと断ってみても、無理矢理本屋に原稿を持っていかれたと体裁の良い弁明をしてみても、出す以上は駄目である。よくよく恥しいという謙遜の美徳があれば、その人の芸術的良心にかけても、たれも本にすまい。人に読ませる積りで書いたのではないと・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・たちの接待に朝から晩までいそがしく、中には泊り込みの客もあって、遊び歩くひまもなかったし、また、たまにお客の来ない日があっても、そんなときには、家の大掃除をはじめたり、酒屋や米屋へ支払いの残りについて弁明してまわったりして、とても活動など見・・・ 太宰治 「花燭」
・・・一言の弁明も致しません。それゆえ、あなたの大胆な遊びは、汚れがなくて綺麗に見えます。私たちは、いつでもおっかなびっくりで、心の中で卑怯な自問自答を繰りかえし、わずかに窮余のへんてこな申し開きを捏造し、責任をのがれ、遊びの刑罰を避けようと致し・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ひとりでそんな弁明らしいことを言ってから、今度はふと語調をかえた。「小説を書いたのです。十枚ばかり。そのあとがつづかないのです。」煙草を指先にはさんだままてのひらで両の鼻翼の油をゆっくり拭った。「刺激がないからいけないのだと思って、こんな試・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫