・・・その紐を引くと、頭の上で蝋燭を立てたように羽が立つ。それを見ては誰だって笑わずにはいられない。この男にこの場所で小さい女中は心安くなって、半日一しょに暮らした。さて午後十一時になっても主人の家には帰らないで、とうとう町なかの公園で夜を明かし・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ と勘次の母が顔を曇らせて云いかけると、安次は行司が軍扇を引くときのような恰好で、「心臓や、医者がお前、もう持たんと云いさらしてさ。」「どうしてまたそんなになったんやぞ?」「酒桶から落ってのう。亀山で奉公して十五円貰うてたの・・・ 横光利一 「南北」
・・・陸からは綱を引くものが諸声に力のリズムを響かせる。かくて波を蹴散らし、足をそろえ、声を合わせて舟を砂の上に引きずり上げて行く。 一艘上がるとともに、舟にいた若者たちは直ちに綱を取って海に向かった。次の一艘が磯波に乗り掛かると、ちょうど綱・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫