・・・彼女は、脇から来て、さっと夫から砂糖の包を引ったくった。「もうこれでえいぞ。」彼女は、子供が拡げて持っている新聞紙へほんの一寸ずつ入れてやった。「あとはまたお節句に団子をこしらえてやるせに、それにつけて食うんじゃ。」 子供は、毎日、・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・「ロシア人をいじめて、泣いたり、おがんだりするのに、無理やり引っこさげて来るんだからね、――悪いこったよ、掠奪だよ。」 彼は嗄れてはいるが、よくひびく、量の多い声を持っていた。彼の喋ることは、窓硝子が振える位いよく通った。 彼は・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ちょっと引っ張ってみるとすうと出る。どこまで出るかと続けて引っ張るとすらすらとすっかり出る。 自分はそれをいくつにも畳んでみたり、手の甲へ巻きつけたりしていじくる。後には頭から頤へ掛けて、冠の紐のように結んで、垂れ下ったところを握ったま・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・馬方はとうとう自分ですべって引っくりかえって白いほこりがぱっと上がる。おおぜいがどっと笑う。これが序曲である。 一編の終章にはやはり熱帯の白日に照らされた砂漠が展開される。その果てなき地平線のただ中をさして一隊の兵士が進む。前と同じ単調・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・あれはやはり無言で、そうしてもっと暗示的で誇張されない挙動で効果を出さなくてはならないと思われる。引っ返すこの男と、あとから出発した直八と、中間を歩いている子供とが途中で会合することを暗示しただけで幕をおろすという暗示的な手法をとった一方で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・すなわち、かみつく、引っかく、振り飛ばすというのである。ところが、水牛となるとだいぶ人間とは流儀が違う。頭を低くたれて、あの大きな二本の角を振り舞わすところは、ちょっと薙刀でも使っているような趣がある。鋒先の後方へ向いた角では、ちょっと見る・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・またこれと反対に、その提出された仕事が問題の各方面を引っくるめた全体の上から見ると実に些末な価値しかないものと他の多くの人からは思われるものであっても、それが丁度、当該審査委員の正に求めている壷にはまり、その委員の刻下の疑団を氷解せしめるよ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 雪江は鏡台に向かって顔を作っていたが、やがて派手な晴衣を引っぴろげたまま、隣の家へ留守を頼みに行ったりした。ちょうど女中が見つかったところだったが、まだ来ていなかった。「叔父さんのお蔭で、二人いっしょに遊びに出られますのえ。今日が・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・そうしては足で一寸ササキリを引っ返して其髭の動くのを見て又ばらばらと駈け歩いたことがある。壻の文造と畑へ出ることもあった。秋蕎麦の畑には唯一杯に花が白かった。赤は地鼠の通った穴を探し当てたものか蕎麦の中を駈け歩いた。赤の体が触れて蕎麦の花が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいについてはすでに幼稚な頭の中に幾分でも髣髴できる倫理上の二大性質――善か悪かを取りきめてこの錯雑した光景を締め括りたい希望からこうい・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫