・・・それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云うのがあるが、爺いさん、あれはおめえやらないがいいぜ。第一道・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・眼をひらいてまた見ますと、あのまっ白な建物は、柱が折れてすっかり引っくり返っています。 蟻の子供らが両方から帰ってきました。「兵隊さん。かまわないそうだよ。あれはきのこというものだって。なんでもないって。アルキル中佐はうんと笑ったよ・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・するとその若い人が怒ってね、『引っ張るなったら、先刻たがらいで処さ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫んだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔の火口のあとにはいって僕は二時間ねむっ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 二人はまるで籠を引ったくるようにして、ムシャムシャムシャムシャ、沢山喰べてから、やっと、「おじさんありがとう。ほんとうにありがとうよ。」なんて云ったのでした。 男は大へん目を光らせて、二人のたべる処をじっと見て居りましたがその・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・帰ったら立てないくらい引っぱたくからそう思え。」ファゼーロはまた後退りしました。「その子どもは何だ。」デストゥパーゴがききました。「ロザーロの弟でございます。」テーモがおじぎをして答えました。するとデストゥパーゴは返事をしないで向う・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・十二時過まで、何かと喋って居た三人は、足らぬ勝の布団を引っぱり合って寝についた。 恭二が、じきに、フー、フーといびきをかき始めると、急に、夜の更けたのが知れる様に、妙にあたりがシインとなって仕舞った。 部屋の工合が違うので、ゴロゴロ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・畳の上へ賽銭箱をバタン、こっちへバタンと引っくりかえすが出た銅貨はほんのぽっちり。今度は正面の大賽銭箱。すのこのように床にとりつけてある一方が鍵で開くらしい。年よりの男が大きい昔ながらの鍵をガチャガチャ鳴らしてあちら向きに何かしている。白木・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・ 赤いネクタイのロシア人のピオニェールが歩いてく後から、日本の木綿縞の長ドテラを引っかけたような装のウズベーク人が、長靴でノシノシやって来る。 長い下髪を赤い布で飾った小柄な女は馬乳で有名なクルムィク人の婦人代表だ。 颯っと短い・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・下顎を後下方へ引っ張っているように、口を開いているので、その長い顔が殆ど二倍の長さに引き延ばされている。絶えず涎が垂れるので、畳んだ手拭で腮を拭いている。顔位の狭い面積の処で、一部を強く引っ張れば、全体の形が変って来る。醜くくはない顔の大き・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 私はこの蓮華の世界に入り浸りながら、ここまでいくぶんか強制的に引っ張って来てくれた谷川君に心から感謝した。 そういう印象を受けたのは、ほのぼのと夜が明けて来て、広い蓮池が見渡せるようになった時であるが、それが何時ごろであったか・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫