・・・はじめから死んでいるも同然な街の建物や、人間などの造った家や、堤防やいっさいのものは、打衝っていっても、ほんとうに死んでいるのだから張り合いがない。そこへいくと、おまえたちや、海などは、生きているのだから、俺が打衝ってゆくと叫びもするし、ま・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・じいさんは、にこにことして、急に仕事をするのに張り合いができたのでした。「変わった薬屋さんだ。信心するので、神さまが薬をおめぐみくだされたのかもしれない。」 じいさんは、まだどこかに手風琴の音がきこえるような気がして、耳をすましてい・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・ 斯う云って、彼は張合い抜けのした気持で警官と別れて、それから細民窟附近を二三時間も歩き廻った。そしてよう/\恰好な家を見つけて、僅かばかしの手附金を置いて、晩に引越して来るということにして帰って来た。がやっぱし細君からの為替が来てなか・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・かるを止めるように『戦争はまだ永く続きそうでございますかな』と吉次が座興ならぬ口ぶり、軽く受けて続くとも続くともほんとの戦争はこれからなりと起ち上がり『また明日の新聞が楽しみだ、これで敗戦だと張り合いがないけれど我軍の景気がよいのだ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・「戦争がないと生きている張り合いがない、ああツマラない、困った事だ、なんとか戦争を始めるくふうはないものかしら。」 加藤君が例のごとく始めました。「男」はこれが近ごろの癖なのである。近ごろとは、ポーツマウスの平和以後の冬の初めのころ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・その羨しさをかくそうとすると、微笑が、張り合いのぬけた淋しいものになる。それが不愉快なほど自分によく分った。「なんか、ことづけはないかい?」「ないようだ。」「一と足さきに失敬できると思うたら、愉快でたまらんよ。」 そこにいる・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・生きる事に何も張り合いが無い時には、自殺さえ、出来るものではありません。自殺は、かえって、生きている事に張り合いを感じている人たちのするものです。最も平凡な言いかたをすれば、私は、スランプなのかも知れません。恋愛でもやってみましょうか。先日・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・「くにへ行っても、兄さんに逢えないとなると、だいぶ張合いが無くなりますね。」私は兄に逢いたかったのだ。そうして、黙って長いお辞儀をしたかったのだ。「なに、兄さんとは此の後、またいつでもお逢い出来ますよ。それよりも、問題はお母さんです・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・私の解放運動など、先覚者として一身の名誉のためのものと言って言えないこともなく、そのほうで、どんどん出世しているうちは、面白く、張り合いもございましたが、スパイ説など出て来たんでは、遠からず失脚ですし、とにかく、いやでした。 ――女は、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・みんなの言う様に、そんな、申しぶんの無いお方だったら、殊更に私でなくても、他に佳いお嫁さんが、いくらでも見つかる事でしょうし、なんだか張り合いの無いことだと思っていました。この世界中に私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいも・・・ 太宰治 「きりぎりす」
出典:青空文庫