・・・そこでその笑を紛せるために新しいM・C・Cへ火をつけながら、強いて真面目な声を出して、「そうですか」と調子を合せた。もうその先を尋きただすまでもない。あらゆる正確な史料が認めている西郷隆盛の城山戦死を、無造作に誤伝の中へ数えようとする――そ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・彼れは持った事のないものを強いて押付けられたように当惑してしまった。その押付けられたものは恐ろしく重い冷たいものだった。何よりも先ず彼れは腹の力の抜けて行くような心持ちをいまいましく思ったがどうしようもなかった。 勿体ぶって笠井が護符を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 懐しくも床さに、お縫は死骸の身に絡った殊にそれが肺結核の患者であったのを、心得ある看護婦でありながら、記念にと謂って強いて貰い受けて来て葛籠の底深く秘め置いたが、菊枝がかねて橘之助贔屓で、番附に記した名ばかり見ても顔色を変える騒を知っ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・済まないというのは一体どんな事と、すかしても、口説いても、それは問わないで下さいましと、強いていえば震えます、頼むようにすりゃ泣きますね、調子もかわって目の色も穏でないようでございましたが、仕方がございません。で、しおしおその日は帰りまして・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 豪雨の声は、自分に自殺を強いてる声であるのだ。自分はなお自殺の覚悟をきめ得ないので、もがきにもがいているのである。 死ぬときまった病人でも、死ぬまでになお幾日かの間があるとすれば、その間に処する道を考えねばならぬ。いわんや一縷の望・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・もう話せば話すほど悲しくなるからとて強いて一同寝ることにした。 母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえてようやくこらえていた僕は、自分の蚊帳へ這入り蒲団に倒れると、もうたまらなく一度にこみ上げてくる。口へは手拭を噛んで、涙を絞った。どれ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・そして人生というものを宿命的のものに強いて見ようとつとめた。「芸術は革命的精神に醗酵す」という宣言の下に生れた芸術とは、全く選を異にする。一つは、太平時代の産物であり、装飾であり、娯楽であり、後者は、闘争的精神から生れた叫びである。純然・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・教というものがあって、其所へ逃げて行く事は出来るけれども、又一面より見れば此の宗教という者も、一種の禁欲主義に外ならないではないか、人間的な生活――此の煩わしい現実の生活から離れて、特殊な欲望を禁じて強いて自らを其の上に置くという事は苦しい・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・ マダムも海老原がいるので強いて引き止めはしなかったが、ただ一言、「阿呆? 意地悪!」 背中に聴いて「ダイス」を出ると暗かった。夜風がすっと胸に来て、にわかに夜の更けた感じだった。鈴の音が聴えるのはアイスクリーム屋だろうか夜泣き・・・ 織田作之助 「世相」
・・・彼はそう考えた。強いて押し黙っていた。 一時間ばかり椅子でボンヤリしているうちに、伍長と、も一人の上等兵とは、兵舎で私の私物箱から背嚢、寝台、藁布団などを悉く引っくりかえして、くまなく調べていた。そればかりでなく、ほかの看護卒の、私物箱・・・ 黒島伝治 「穴」
出典:青空文庫