・・・行歩健かに先立って来たのが、あるき悩んだ久我どのの姫君――北の方を、乳母の十郎権の頭が扶け参らせ、後れて来るのを、判官がこの石に憩って待合わせたというのである。目覚しい石である。夏草の茂った中に、高さはただ草を抽いて二三尺ばかりだけれども、・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・いま一樹の手に、ふっくりと、且つ健かに育っている。 不思議に、一人だけ生命を助かった女が、震災の、あの劫火に追われ追われ、縁あって、玄庵というのに助けられた。その妾であるか、娘分であるかはどうでもいい。老人だから、楽屋で急病が起っ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・継はぎの股引膝までして、毛脛細く瘠せたれども、健かに。谷を攀じ、峰にのぼり、森の中をくぐりなどして、杖をもつかで、見めぐるにぞ、盗人の来て林に潜むことなく、わが庵も安らかに、摩耶も頼母しく思うにこそ、われも懐ししと思いたり。「食べやしな・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・剰え髪は乱れて頬にかかり、頬の肉やや落ちて、身体の健かならぬと心に苦労多きとを示している。自分は音を立てぬようにその枕元を歩いて、長火鉢の上なる豆洋燈を取上げた。 暫時聴耳を聳て何を聞くともなく突立っていたのは、猶お八畳の間を見分する必・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・これに反しデューラーのマリアは貧しい頭巾をかぶっているが乳房は健かにふくれ、その手はひびが切れてあれているがしっかりと子どもを抱くに足り、おしめの洗濯にもたえそうだ。子どもを育て得ぬファン・エックの聖母は如何に高貴で、美しくても「母」たるの・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・上総介では強かろうが偉かろうが、位官の高い九条植通の前では、そのくらいに扱われたとて仕方のない談だ。植通は位官をはずかしめず、かつは名門の威を立てたのである。信長の事だから、是の如き挨拶で扱われては大むくれにむくれて、「九条殿はおれに礼をい・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・そもそも南方の強か、北方の強か。」 酒の酔いと、それから落胆のために、足もとがあぶなっかしく見えた。見世物の大将を送って部屋から出られて、たちまち、ガラガラドシンの大音響、見事に階段を踏みはずしたのである。腰部にかなりの打撲傷を作った。・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・その頃私より少し年上であったと思うが、今も何処かに健かにしておられるか知ら。 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・なれども健かな二本の脚を、何面白いこともないに、捩って折って放すとは、何という浅間しい人間の心じゃ。」「放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べましょう。あの萱原の中に落ちてひいひい泣いていたのでございます。それでも昼の間は・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・人類の精神の流れが、根柢まで破壊された旧友朋の上に、新たな、健かな、生存の意義を見出そうとしている。非常な不健康や欠乏は、一時も早く改善され、互に、終局の目標に進めることが大切である。 広くもない地球の上で、幾千万と云う人間が、飢え渇え・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
出典:青空文庫