・・・そうしてこれらの人々が皆、黄ばんだ、弾力のない顔を教壇の方へ向けていた。教壇の上では蓄音機が、鼻くたのような声を出してかっぽれか何かやっていた。 蓄音機がすむと、伊津野氏の開会の辞があった。なんでも、かなり長いものであったが、おきのどく・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・つき歩いていた時分の生活とても、それは決して今の生活と較べて自由とか幸福とか云う程のものではなかったけれど、併しその時分口にしていた悲痛とか悲惨とか云う言葉――それ等は要するに感興というゴム鞠のような弾力から弾き出された言葉だったのだ。併し・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 貴嬢の目と二郎が目と空にあいし時のさまをわれいつまでか忘るべき、貴嬢は微かにアと呼びたもうや真蒼になりたまいぬ、弾力強き心の二郎はずかずかと進みて貴嬢が正面の座に身を投げたれど、まさしく貴嬢を見るあたわず両の掌もて顔をおおいたるを貴嬢・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ かれはこの言葉のうち、何らの弾力あるものを感じなくなった。 山河月色、昔のままである。昔の知人の幾人かはこの墓地に眠っている。豊吉はこの時つくづくわが生涯の流れももはや限りなき大海近く流れ来たのを感じた。われとわが亡友との間、半透明の・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・しかるに幸か不幸か、彼の健康はいかにしても彼の嗜好に反する学術を忍んで学ぶほどの弾力を有していない。彼は二年間に赤十字社に三度入院した。医師に勧められて三度湯治に行った。そしてこの間彼の精神の苦痛は身体の病苦と譲らなかったのはすなわち彼自身・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・それが青年を美しくし、弾力を与え、ものの考え方を純真ならしめる動機力なのだ。 私は青春をすごして、青春を惜しむ。そして青春が如何に人生の黄金期であったかを思うときにその幸福を惜しめとすすめたくなるのだ。そしてそれには童貞をなるだけ長く保・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・われわれの日常乗るバスの女車掌でさえも有閑婦人の持たない活々した、頭と手足の働きからこなされて出た、弾力と美しさをもっている。働かない婦人はだんだんと頭と心の動きと美しさとにおいて退歩しつつあるように見える。女優や、音楽家や、画家、小説家の・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・と同時に、別の弾力性のある若い女の声が闇の中にひゞいた。声の調子が、何か当然だというように横柄にきこえた。瞬間、栗本はいつもからの癇癪を破裂さした。暗い闇が好機だという意識が彼にあった。振り上げられた銃が馬の背に力いっぱいに落ちて行った。い・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・右の腕を、虚空を斫るように、猛烈に二三度振って、自分の力量と弾力との衰えないのを試めして見て、独り自ら喜んだ。それから書いたものをざっと読んで見た。かなりの出来である。格別読みづらくはない。いよいよ遣らなくてはならないとなると、遣れるものだ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・今年の春、勝手口にあった藤を移植して桜にからませた、その葉が大変に茂っていたので、これに当たる風の力が過大になって、細い樹幹の弾力では持ち切れなくなったものと思われる。 これで見ても樹木などの枝葉の量と樹幹の大きさとが、いかによく釣合が・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫