・・・何しろこれからその行方を見て貰おうと云う当の女が、人もあろうにお島婆さんの娘だと云う騒ぎなのですから。と云って泰さんもその娘に頼まれた、容易ならない言伝ての手前、驚いてばかりもいられますまい。そこで麦藁帽子をかぶるが早いか、二度とこの界隈へ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 仁右衛門は火の玉のようになって飛びかかった。当の二人と二、三人の留男とは毬になって赤土の泥の中をころげ廻った。折重なった人々がようやく二人を引分けた時は、佐藤は何所かしたたか傷を負って死んだように青くなっていた。仲裁したものはかかり合・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・それも塀を高く越した日当のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁どその卯の花の枝の下に御飯が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密と来た。忽ち卯の花に遊ぶこと萩に戯るるが如しで・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・の日の出を揃えて、線路際を静に練る…… 結構そうなお爺さんの黒紋着、意地の悪そうな婆さんの黄色い襟も交ったが、男女合わせて十四五人、いずれも俥で、星も晴々と母衣を刎ねた、中に一台、母衣を懸けたのが当の夜の縁女であろう。 黒小袖の肩を・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・そうだろう、当の御親類の墓地へ、といっては、ついぞ、つけとどけ、盆のお義理なんぞに出向いた事のない奴が、」 辻町は提灯を押えながら、「酒買い狸が途惑をしたように、燈籠をぶら下げて立っているんだ。 いう事が捷早いよ、お京さん、そう・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・「斎藤の縁談を断わったのはお前の意を通したのだから、今度は相当の縁があったら父の意に従えと言うのだ」 それをおとよはどうしても、ようございますといわないから、父の言い状が少しも立たない。それが無念で堪らぬのだ。片意地ではない、家のた・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・之に応じて、当の目あてからは勿論、盤龍山、鷄冠山からも砲弾は雨、あられと飛んで来た。ひかって青い光が破裂すると、ぱらぱらッと一段烈しう速射砲弾が降って来たんで、僕は地上にうつ伏しになって之を避けた。敵塁の速射砲を発するぽとぽと、ぽとぽとと云・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・アレだけの長い閲歴と、相当の識見を擁しながら次第に政友と離れて孤立し、頼みになる腹心も門下生もなく、末路寂寞として僅に廓清会長として最後の幕を閉じたのは啻に清廉や狷介が累いしたばかりでもなかったろう。四 沼南は廃娼を最後の使・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・もっともアレだけの巻数を重ねたのはやはり相当の人気があったのであろうが、極めて空疎な武勇談を反覆するのみで曲亭の作と同日に語るべきものではない。『八犬伝』もまた末尾に近づくにしたがって強弩の末魯縞を穿つあたわざる憾みが些かないではないが、二・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・今なら文部省に睨まれ教育界から顰蹙される頗る放胆な自由恋愛説が官学の中から鼓吹され、当の文部大臣の家庭に三角恋愛の破綻を生じた如き、当時の欧化熱は今どころじゃなかった。 先年侯井上が薨去した時、侯の憶い出咄として新聞紙面を賑わしたのはこ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
出典:青空文庫