・・・ S―は最初、ふとした偶然からその女に当り、その時、よもやと思っていたような異様な経験をしたのであった。その後S―はひどく酔ったときなどは、気持にはどんな我慢をさせてもという気になってついその女を呼ぶ、心が荒くなってその女でないと満足で・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・、加藤はまず当たりました。「大砲だろう」と、中倉先生もなかなかこれで負けないのである。「大違いです。」「それならなんだ、わかったわかった」「なんだ」と今度は「男」が問うている。 二人の問答を聞いているのもおもしろいが、見・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・「彼の島の者ども、因果の理をも弁えぬ荒夷なれば、荒く当りたりし事は申す計りなし」「彼の国の道俗は相州の男女よりも怨をなしき。野中に捨てられて雪に肌をまじえ、草を摘みて命を支えたりき」 かかる欠乏と寂寥の境にいて日蓮はなお『開目鈔・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・機嫌が甚く悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家が見えるようになってフト気中りがして、何だか今度の御前製作は見事に失敗するように思われ出して、それで一倍鬱屈したので。」「気アタリという奴は厭なものだネ。わたしも若い時分・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・「一寸、今、他に貸すような家も見当りません……妙なもので、これで壁でも張って、畳でも入替えて御覧なさい、どうにか住めるように成るもんですよ」 と復た先生が言った。 同じ士族屋敷風の建物でも、これはいくらか後で出来たものらしく、蚕・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ ばかに自分の事ばかり書きすぎたようにも思うが、しかし、作家が他の作家の作品の解説をするに当り、殊にその作家同士が、ほとんど親戚同士みたいな近い交際をしている場合、甚だ微妙な、それこそ飛石伝いにひょいひょい飛んで、庭のやわらかな苔を踏ま・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・そして地図上のただの線でも、そこの実景を眼の当りに経験すれば、それまでとはまるで違ったものに見えて来る。また特にフィルムの繰り出し方を早めあるいは緩めて見せる事によって色々の知識を授ける事が出来る。例えば植物の生長の模様、動物の心臓の鼓動、・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 一同、成程と思案に暮れたが、此の裏穴を捜出す事は、大雪の今、差当り、非常に困難なばかりか寧ろ出来ない相談である。一同は遂にがたがた寒さに顫出す程、長評定を凝した結果、止むを得ないから、見付出した一方口を硫黄でえぶし、田崎は家にある鉄砲・・・ 永井荷風 「狐」
・・・太十は独でぶつぶついって当り散した。村の者の目にも悄然たる彼の姿は映った。悪戯好のものは太十の意を迎えるようにして共に悲んだ容子を見てやった。太十は泣き相になる。それでもお石の噂をされることがせめてもの慰藉である。みんなに揶揄われる度に切な・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・投げると申すと失敬に当りますが、粟餅とは認めていないのだから、大した非礼にはなるまいと思います。 この放射作用と前に申した分化作用が合併して我以外のものを、単に我以外のものとしておかないで、これにいろいろな名称を与えて互に区別するように・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫