・・・ きた当座は、自転車に乗るけいこを付近の空き地にいって、することにしました。また、電話をかけることを習いました。まだ田舎にいて、経験がなかったからです。山本薪炭商の主人は、先生からきいたごとく、さすがに苦労をしてきた人だけあって、はじめ・・・ 小川未明 「空晴れて」
大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑・・・ 小川未明 「野ばら」
・・・看病に追われて怠けていた上、一代が死んだ当座ぽかんとして半月も編輯所へ顔を見せなかったのだ。寺田はまた旧師に泣きついて、美術雑誌の編輯の口を世話してもらった。編輯員の二人までがおりから始まった事変に召集されて、欠員があったのだ。こんどは怠け・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・黙って行方をくらませた女を恨みもせず、その当座女の面影を脳裡に描いて合掌したいくらいだった。……「――うちの禿げ婆のようなものも女だし、あの女のようなのもいるし、女もいろいろですよ」「で、その女がお定だったわけ……?」「三年後に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・げに真情浅き少女の当座の曲にその魂を浮かべし若者ほど哀れなるはあらじ。 われしばしこの二人を見てありしに二人もまた今さらのように意づきしか歌を止め、わが顔を見上げて笑いぬ、姉なるは羞しげに妹なるはあきれしさまにて。われまたほほえみてこれ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・栗本とは入営当座、同じ班の同じ分舎にいた。巻脚絆を巻くのがおそく、整列におくれて、たび/\一緒に聯隊本部一週の早駈けをやらされたものだ。「おい、おい!」 栗本は橇の上から呼びかけた。 田口は看護長の返事を待ちながら、傷病者がうま・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・おせんが見えなく成った当座なぞは、家の内を探し歩いて、ツマラナイような顔付をして萎れ返っていたものだ。 大塚さんはマルを膝の上に乗せて、抱締るようにして顔を寄せた。白い、柔な狆の毛は、あだかもおせんの頬に触れる思をさせた。 別れ・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・なまけものほど、気がかりの当座の用事を一刻も早く片附けてしまいたがるものらしい。 電車から降りて、見ると、これは撮影所のまちよりも、もっとひどい田舎だった。一望の麦畑、麦は五、六寸ほどに伸びて、やわらかい緑色が溶けるように、これはエメラ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・上陸当座はいっしょによく徴発に行ったっけ。豚を逐い廻したッけ。けれどあの男はもはやこの世の中にいないのだ。いないとはどうしても思えん。思えんがいないのだ。 褐色の道路を、糧餉を満載した車がぞろぞろ行く。騾車、驢車、支那人の爺のウオウオウ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・此処に来た当座は耳に馴れぬ風の夜の波音に目が醒めて、遠く切れ/\に消え入る唄の声を侘しがったが馴れれば苦にもならぬ。宿の者も心安くなってみれば商売気離れた親切もあって嬉しい。雨が降って浜へも出られぬ夜は、帳場の茶話に呼ばれて、時には宿泊人届・・・ 寺田寅彦 「嵐」
出典:青空文庫