発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・六十戸にあまる小作人の小屋は、貸附けを受けた当時とどれほど改まっているだろう。馬小屋を持っているのはわずかに五、六軒しかなかったではないか。ただだだっ広く土地が掘り返されて作づけされたというだけで成績が挙がったということができるものだろうか・・・ 有島武郎 「親子」
・・・一例を挙げるならば、近き過去において自然主義者から攻撃を享けた享楽主義と観照論当時の自然主義との間に、一方がやや贅沢で他方がややつつましやかだという以外に、どれだけの間隔があるだろうか。新浪漫主義を唱える人と主観の苦悶を説く自然主義者との心・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・稿の成ると共に直ちにこれを東京に郵送して先生の校閲を願ったが、先生は一読して直ちに僕が当時の心状を看破せられた。返事は折返し届いて、お前の筆端には自殺を楽むような精神が仄見える。家計の困難を悲むようなら、なぜ富貴の家には生れ来ぬぞ……その時・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・この朝予は吉田の駅をでて、とちゅう畑のあいだ森のかげに絹織の梭の音を聞きつつ、やがて大噴火当時そのままの石の原にかかった。千年の風雨も化力をくわうることができず、むろん人間の手もいらず、一木一草もおいたたぬ、ゴツゴツたる石の原を半里あまりあ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
十年振りの会飲に、友人と僕とは気持ちよく酔った。戦争の時も出征して負傷したとは聴いていたが、会う機会を得なかったので、ようよう僕の方から、今度旅行の途次に、訪ねて行ったのだ。話がはずんで出征当時のことになった。「今の僕なら、君」と・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・余り名文ではないが、淡島軽焼の売れた所以がほぼ解るから、当時の広告文の見本かたがた全文を掲げる。私店けし入軽焼の義は世上一流被為有御座候通疱瘡はしか諸病症いみもの決して無御座候に付享和三亥年はしか流行の節は御用込合順番札にて差上候儀・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・三人の娘らは、当時のように笑いもせずに、いずれも心配そうな顔つきをしていました。やがて父親は、なにかいって金庫の方を指さしました。するといちばん年上の娘が、その金庫の方に歩いていって、そのとびらを開けました。そして中から、たくさんの金貨を盛・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜も更けたから洋燈を点けた儘、読みさしの本を傍に置いて何か考えていると、思わずつい、うとうと・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・そしてもう少し行くと、中座、浪花座と東より順に五座の、当時はゆっくりと仰ぎ見てたのしんだほど看板が見られたわけだったが、浜子は角座の隣りの果物屋の角をきゅうに千日前の方へ折れて、眼鏡屋の鏡の前で、浴衣の襟を直しました。浜子は蛇ノ目傘の模様の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫