・・・ 泣けもせずキョトンとしているのを引き取ってくれた彦根の伯父が、お前のように耳の肉のうすい女は総じて不運になりやすいものだといったその言葉を、登勢は素直にうなずいて、この時からもう自分のゆくすえというものをいつどんな場合にもあらかじめ諦・・・ 織田作之助 「螢」
・・・近ごろ思い出して、急に材料を捜しにかかったが、容易に見つからず、とうとう彦根測候所に頼んで、同所の筒井百平氏から、必要な気象観測のデータを送っていただいて、それでやっと少しはまとまった事を考えるだけの資料ができた。ここで改めて筒井氏の御好意・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・かな閣に坐して遠き蛙を聞く夜かな祇や鑑や髭に落花を捻りけり鮓桶をこれへと樹下の床几かな三井寺や日は午に逼る若楓柚の花や善き酒蔵す塀の内耳目肺腸こゝに玉巻く芭蕉庵採蓴をうたふ彦根の夫かな鬼貫や新酒の中の貧に処す・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 仲平は隠家に冬までいて、彦根藩の代々木邸に移った。これは左伝輯釈を彦根藩で出版してくれた縁故からである。翌年七十一で旧藩の桜田邸に移り、七十三のときまた土手三番町に移った。 仲平の亡くなったのは、七十八の年の九月二十三日である。謙・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・母親は彦根へ行く汽車はまだかときいた。雑役夫は突然の問いにいくらかあわてながら、十一時九分、まだ一時間半ありますと答えた。しかし私の乗って行く臨時汽車は神戸の先まで行く。ことに運転し始めたばかりの臨時汽車は人が知らないのでほとんど数えるほど・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫