・・・早速お前を父親へ返せ――警察の御役人じゃあるまいし、アグニの神がそんなことを御言いつけになってたまるものか」 婆さんはどこからとり出したか、眼をつぶった妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突きつけました。「さあ、正直に白状おし。お前は勿体・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ するとある年のなたら(降誕祭の夜、悪魔は何人かの役人と一しょに、突然孫七の家へはいって来た。孫七の家には大きな囲炉裡に「お伽の焚き物」の火が燃えさかっている。それから煤びた壁の上にも、今夜だけは十字架が祭ってある。最後に後ろの牛小屋へ・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・ ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。 これから、名を由之助という小山判事は、埃も立たない秋の空・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 斜違にこれを視めて、前歯の金をニヤニヤと笑ったのは、総髪の大きな頭に、黒の中山高を堅く嵌めた、色の赤い、額に畝々と筋のある、頬骨の高い、大顔の役人風。迫った太い眉に、大い眼鏡で、胡麻塩髯を貯えた、頤の尖った、背のずんぐりと高いのが、絣・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 君たちいったいどこの国の役人か、この洪水が目に入らないのか。多くの同胞が大水害に泣いてるのを何と見てるか。 ほとんど口の先まで出たけれど、僅かにこらえて更に哀願した。結局避難者を乗せる為に列車が来るから、帰ってからでなくてはいけな・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・けれ共どうしても目つからないと云うので霜月の十八日に殺されるときまったのでその親達をあずかった役人が可哀そうに思って「ほんとうに御気の毒な、子供のためにそんなうきめをお見になるんだもの、もうしかたがないから死ぬ時の事も覚悟して又の世をおねが・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・「区役所のお役人よ――衣物など拵えて、待っているの」 僕は隣室の状景を想像する心持ちよりも、むしろこの一言にむかッとした。これがはたして事実なら――して、「お嫁に行くの」はさきに僕も聴いたことがあるから、――現在、吉弥の両親は、その・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・区役所に行って役人に遇ったゞけでも、また巡査に道を聞いただけでも、荷車を引いている労働者を見たゞけでも、また乳呑児を抱いて露店に坐っている女を見たゞけでも、そして其他各階級の人々に出遇い、或は遊び、或は働いている有様を見たゞけでも、私達はこ・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・ さらに、貧しい家に生れ、不遇に育った少年にしたところが、幸福の生活ということは、金持になることであり、また名誉を得るということは、立派な役人になることだけだと解するようなことがあってはならない。なぜなら、幸福とか名誉とかを思う者は人類・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・ と、近ごろ校外の中等学生を取締っている役人を持ちだした。「いいなさい」「強情ね、いったい何の用」「用はない言うてまんがな。分らん人やな」 大阪弁が出たので、紀代子はちらと微笑し、「用がないのに踉けるのん不良やわ。も・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫