・・・斎藤さんは島木さんの末期を大往生だったと言っている。しかし当時も病気だった僕には少からず愴然の感を与えた。この感銘の残っていたからであろう。僕は明けがたの夢の中に島木さんの葬式に参列し、大勢の人人と歌を作ったりした。「まなこつぶらに腰太き柿・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・たとえばチブスの患者などのビスケットを一つ食った為に知れ切った往生を遂げたりするのは食慾も死よりは強い証拠である。食慾の外にも数え挙げれば、愛国心とか、宗教的感激とか、人道的精神とか、利慾とか、名誉心とか、犯罪的本能とか――まだ死よりも強い・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ああ云う大嗔恚を起すようでは、現世利益はともかくも、後生往生は覚束ないものじゃ。――が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野とか王子とか、由緒のある神を拝むのではない。この島の火山には鎮・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・そいつも今は往生している。コオペラティヴと取引きが出来なくなったものだから」 僕等の乗った省線電車は幸いにも汽車ほどこんでいなかった。僕等は並んで腰をおろし、いろいろのことを話していた。T君はついこの春に巴里にある勤め先から東京へ帰った・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 使 しかし小町は現にわたしを…… 神将 (憤然この戟を食らって往生しろ! 使 助けてくれえ! 四 数十年後、老いたる女乞食二人、枯芒の原に話している。一人は小野の小町、他の一人は玉造の小町。・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・――罷り違ったにした処で、往生寂滅をするばかり。(ぐったりと叩頭して、頭の上へ硝子杯――お旦那、もう一杯、注いで下せえ。万屋 船幽霊が、柄杓を貸せといった手つきだな。――底ぬけと云うは、これからはじまった事かも知れない。……商売だからい・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・六十七歳で眠るが如く大往生を遂げた。天王寺墓域内、「吉梵法師」と勒された墓石は今なお飄々たる洒脱の風を語っておる。 椿岳は生前画名よりは奇人で聞えていた。一風変った画を描くのは誰にも知られていたが、極彩色の土佐画や花やかな四条派やあるい・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかし、まアくびにもならずに勤めていましたので、父はそんな私を見て安心したのか、二年後の五月には七十六歳の大往生を遂げました。落語家でしたので新聞にちいさく出たが、浜子も玉子も来なかった。死んでしまっていたかもしれない。私は禁酒会へはいって・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・観念の眼を閉じて、安らかに大往生を遂げたとは思えない。思いたくない。あの面魂だ。剥いでも剥いでも、たやすく芯を見せない玉葱のような強靱さを持っていた人だ。ころっと死んだのだ。嘘のように死んだのだ。武田さんはよくデマを飛ばして喜んでいた。南方・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・死んだ後にだって何一つ面倒なことって残してないし、じつに簡単明瞭な往生じゃないか。僕なんかにはちょっと真似ができそうにないね。考えてみるとおやじ一代の苦労なんてたいへんなものだったろうよ。ただこれで、第一公式なんていうことなしに、ポカポカと・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫