・・・ こいつは全で空気と同じく、あらゆる地面を蔽ってはいたが、捕えるのに往生した。 下の関行きの、二三等直通列車が走った。 彼は、長い時間を食堂車でつぶして、ビールの汗で体中を飴湯でも打っかけられたように、ネチャつかせながら、彼の座・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・その目的は死後に極楽に往生していわゆる「パラダイス」の幸福を享けんとの趣意ならん。深謀遠慮というべし。されども不良の子に窘しめらるるの苦痛は、地獄の呵嘖よりも苦しくして、然も生前現在の身を以てこの呵嘖に当たらざるを得ず。余輩敢えて人の信心を・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ってるから、屁をひって尻をすぼめず屁ひり虫か そいつは余りつまらないじゃないか、つまらないたッて困ったナ それじャこれではどうだ 屁をひってすぼめぬ穴の芒かなサ、少し善ければそれで我慢して置いて安楽に往生するサ 迷わずに往ってくれたまえ、迷・・・ 正岡子規 「墓」
・・・みんな往生じゃ。山猫大明神さまのおぼしめしどおりじゃ。な。なまねこ。なまねこ。」 兎も一緒に念猫をとなえはじめました。「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」 狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。「なまねこ・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する、それ、あまり同情ない。」山男はもう支那人が、あんまり気の毒になってしまって、おれのからだなどは、支那人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろうと思・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
・・・大谷尊由に対談して、長谷川「歎異鈔なんか拝読いたしますと『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』と書いてありますから、吾々共産党だった者でも努力をすれば救われるでしょうか」という質問を出している。この実例は、文化面においてないがしろにで・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・年に不足はないのだし、苦痛ない往生を遂げたのだから。けれども、この予想は誤っていた。祖母の臨終の時から、一種異様な寥しさが私の心の底に食い入った。死なれて見て、祖母と自分との絆が如何に深いものであったかを知った淋しさとも云える。何だか淋しい・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ 津崎の家では往生院を菩提所にしていたが、往生院は上のご由緒のあるお寺だというのではばかって、高琳寺を死所ときめたのである。五助が墓地にはいってみると、かねて介錯を頼んでおいた松野縫殿助が先に来て待っていた。五助は肩にかけた浅葱の嚢をお・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・医者が持たん云いさらしてさ、往生したわ。」「ふむ、それは気の毒なことやなア、長いこと見んで、私ゃもうすっかり見忘れて了うたわ。何年程になるなア?」「九年や。」「もうそんなになるかいな、幾つやな、そうすると四十?」「四十二や。・・・ 横光利一 「南北」
・・・徳蔵おじはモウ年が寄って、故郷を離れる事が出来ないので、七年という実に面白い気楽な生涯をそこで送り、極おだやかに往生を遂る時に、僕をよんで、これからは兼て望の通り、船乗りになっても好といいました。僕は望が叶たんだから、嬉しいことは嬉しいけれ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫