・・・それでは、ここで私を待ち伏せていたのかと、返事の仕様もなく、湯のなかでふわりふわりからだを浮かせていると、いきなり腕を掴まれた。「彼女はなんぞ僕の悪ぐち言うてましたやろ?」 案外にきつい口調だった。けれど、彼女という言い方にはなにか・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・そんなとき喬は暗いものに到るところ待ち伏せされているような自分を感じないではいられなかった。 時どき彼は、病める部分を取出して眺めた。それはなにか一匹の悲しんでいる生き物の表情で、彼に訴えるのだった。 三 喬はた・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・私の散歩の癖を知っているから、ここで待ち伏せていたのであろう。私は、いまは気楽に近寄り、「さきほどは御免なさい。大きな白痴。」お馬鹿さんなどという愛称は、私には使えない。「あした決闘を見においで。私が奥さんを殺してあげる。いやなら、あなたの・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ここで待ち伏せていてやろうと考えたのである。ふだんならば僕も、こんな乱暴な料簡は起さないのであるが、どうやら懐中の五円切手のおかげで少し調子を狂わされていたらしいのである。僕は玄関の三畳間をとおって、六畳の居間へはいった。この夫婦は引越しに・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、「気の毒だが正義のためだ!・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・の研究者の行手に待伏せしているのである。 静岡へのバスは吾々一行が乗ったので満員になった。途中で待っていたお客に対して運転手が一々丁寧に、どうも気の毒だが御覧の通り一杯だからと云って、本当に気の毒そうに詫言を云っている。東京などでは見ら・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・そうして、墨をよこさなければ帰りに待伏せすると威かされ、小刀をくれないとしでるぞと云っては脅かされた。その頃の硬派の首領株の一人はその後人力車夫になったと聞いたが、それからどうなったか一度も巡り合わずそれきり消息を知ることが出来ない。 ・・・ 寺田寅彦 「鷹を貰い損なった話」
・・・狭い廊下で待ち伏せして一人一人渡すのに骨が折れた。彼らはそれをかくしにねじ込みながら、カイゼルひげの立派な顔をしゃくって Glckliche Reise ! などと言った。 ハース氏は、イタリアの人足はずるくて、うっかりしていると荷物な・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・夜ふけて帰るおのおのの家路には木の陰、川の岸、路地の奥の至るところにさまざまな化け物の幻影が待ち伏せて動いていた。化け物は実際に当時のわれわれの世界にのびのびと生活していたのである。中学時代になってもまだわれわれと化け物との交渉・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・とも云われないきびしい気持をいだきながら、ファゼーロがつめくさのあおじろいあかりの上に影を長く長く引いて、しょんぼりと帰って行った、そこには麻の夏外套のえりを立てたデストゥパーゴが三四人の手下を連れて待ち伏せしている、ファゼーロがそれを見て・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫