・・・「わたくしは一番ヶ瀬半兵衛の後家、しのと申すものでございます。実はわたくしの倅、新之丞と申すものが大病なのでございますが……」 女はちょいと云い澱んだ後、今度は朗読でもするようにすらすら用向きを話し出した。新之丞は今年十五歳になる。・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・その了簡でございますから、中年から後家になりながら、手一つで、まず……伜どのを立派に育てて、これを東京で学士先生にまで仕立てました。……そこで一頃は東京住居をしておりましたが、何でも一旦微禄した家を、故郷に打っ開けて、村中の面を見返すと申し・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 氷見鯖の塩味、放生津鱈の善悪、糸魚川の流れ塩梅、五智の如来へ海豚が参詣を致しまする様子、その鳴声、もそっと遠くは、越後の八百八後家の因縁でも、信濃川の橋の間数でも、何でも存じておりますから、はははは。」 と片肌脱、身も軽いが、口も・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・喜兵衛は納得して幸手へ行き、若後家の入夫となって先夫の子を守育て、傾き掛った身代を首尾よく盛返した。その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌は今でもこの野口家に祀られてい・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・れる話、技術が極めて簡単だから女にでも、少し器用なら容易に覚えられる話、写真屋も商売となると技術よりは客扱いが肝腎だから、女の方がかえって愛嬌があって客受けがイイという話、ここの写真屋の女主人というは後家さんだそうだが相応に儲かるという咄、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ * * * 越えて二日目、葬式は盛んに営まれて、喪主に立った若後家のお光の姿はいかに人々の哀れを引いたろう。会葬者の中には無論金之助もいたし、お仙親子も手伝いに来ていたのである。 で、葬式の済むまで・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ その三日の間もお定は床をはなれようとせず、それがいかにも後家の姑めいて奉公人たちにはおかしかったが、いつまでそうしているのもさすがにおとなげないとお定も思ってか、ひとつには辛抱も切れて、起き上ろうとすると腰が抜けて起たなかった。医者に・・・ 織田作之助 「螢」
・・・裏の畑に向いた六畳の間に、樋口とこの家の主人の後家の四十七八になる人とが、さし向かいで何か話をしているところでした。この後家の事を、私どもはみなおッ母さんとよんでいました。 おッ母さんはすこぶるむずかしい顔をして樋口の顔を見ています、樋・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 軍人は軍人で、殊に下士以下は人の娘は勿論、後家は勿論、或は人の妻をすら翫弄して、それが当然の権利であり、国民の義務であるとまで済ましていたらしい。 三円借せ、五円借せ、母はそろそろ自分を攻め初めた。自分は出来るだけその望に応じて、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・の如き、日清戦争後の軍人が、ひどく幅をきかした風潮を、皮肉りあてこすっている作品でも、将校はいゝのだが、下士以下が人の娘や、後家や、人妻を翫弄し堕落させるとしている。将校は営外に居住し得、妻帯し得るのに対して、下士以下兵卒は兵営に居住しなけ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫