・・・それは従来の経験によると、たいてい嗅覚の刺戟から聯想を生ずる結果らしい。そのまた嗅覚の刺戟なるものも都会に住んでいる悲しさには悪臭と呼ばれる匂ばかりである。たとえば汽車の煤煙の匂は何人も嗅ぎたいと思うはずはない。けれどもあるお嬢さんの記憶、・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・ 武者修業 わたしは従来武者修業とは四方の剣客と手合せをし、武技を磨くものだと思っていた。が、今になって見ると、実は己ほど強いものの余り天下にいないことを発見する為にするものだった。――宮本武蔵伝読後。 ユウ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・それには、従来永年この農場の差配を担任していた監督の吉川氏が、諸君の境遇も知悉し、周囲の事情にも明らかなことですから、幾年かの間氏をわずらわして実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。永年の交際において、私は氏がその任務を・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ もし私の考えるところが間違っていなかったら、私が前述した意味の労働者は、従来学者もしくは思想家に自分たちを支配すべきある特権を許していた。学者もしくは思想家の学説なり思想なりが労働者の運命を向上的方向に導いていってくれるものであるとの・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・ 人は、自分が従来服従し来ったところのものに対して或る反抗を起さねばならぬような境地(と私は言いたい。理窟は凡に立到り、そしてその反抗を起した場合に、その反抗が自分の反省の第一歩であるという事を忘れている事が、往々にして有るものである。・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・という不必要な自覚が、いかに従来の詩を堕落せしめたか。「我は文学者なり」という不必要な自覚が、いかに現在において現在の文学を我々の必要から遠ざからしめつつあるか。 すなわち真の詩人とは、自己を改善し自己の哲学を実行せんとするに政治家のご・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・茲で小生は博文館の頌徳表を書くのでないから、一々繰返して讃美する必要は無いが、博文館が日本の雑誌界に大飛躍を試みて、従来半ば道楽仕事であった雑誌をビジネスとして立派に確立するを得せしめ、且雑誌の編纂及び寄書に対する報酬をも厚うして、夫までは・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・一面には従来の文章型を根本から破壊した革命家であったが、同時に一面においてはまた極めて神経的な新らしい雕虫の技術家であった。 自分は小説家でないとか文人になれないとかいったには種々の複雑した意味があったが、自ら文章の才がないと断念めたの・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・この欠陥と不満は、すでに従来のお伽噺や、童話について感じられたことであって、児童の読物を科学的のものに引戻せという声は、その反動的のあらわれと見なければなりません。近時、児童の読物といえば、先ず科学的知識を主としたものが重きをなすようになっ・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・悪意はなかったろうが、心境的私小説――例えば志賀直哉の小説を最高のものとする定説の権威が、必要以上に神聖視されると、もはや志賀直哉の文学を論ずるということは即ち志賀直哉礼讃論であるという従来の常識には、悪意なき罪が存在していたと、言わねばな・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫