・・・彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須の御名を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。「この国の風景は美しい――。」 オルガンティノは反省した。「この国の風景は美しい。気候もまず温・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・それから一月ほど御側にいた後、御名残り惜しい思いをしながら、もう一度都へ帰って来ました。「見せばやなわれを思わむ友もがな磯のとまやの柴の庵を」――これが御形見に頂いた歌です。俊寛様はやはり今でも、あの離れ島の笹葺きの家に、相不変御一人悠々と・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・「神の御名によりて命ずる。永久に神の清き愛児たるべき処女よ。腰に帯して立て」 その言葉は今でもクララの耳に焼きついて消えなかった。そしてその時からもう世の常の処女ではなくなっていた。彼女はその時の回想に心を上ずらせながら、その時泣い・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・…… 勿体なくも、路々拝んだ仏神の御名を忘れようとした処へ――花の梢が、低く靉靆く……藁屋はずれに黒髪が見え、すらりと肩が浮いて、俯向いて出たその娘が、桃に立ちざまに、目を涼しく、と小戻をしようとして、幹がくれに密と覗いて、此方をば熟と・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・その事をば、母上の御名にかけて誓えよと、常にミリヤアドのいえるなりき。 予は黙してうつむきぬ。「何もね、いまといっていま、あなたに迫るんじゃありません。どうぞ悪く思わないで下さいまし、しかしお考えなすッてね。」 また顔見たり。・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ もののけはいを、夜毎の心持で考えると、まだ三時には間があったので、最う最うあたまがおもいから、そのまま黙って、母上の御名を念じた。――人は恁ういうことから気が違うのであろう。 泉鏡花 「星あかり」
・・・自分は天の冥加に叶って今かく貴い身にはなったが、氏も素性もないものである、草刈りが成上ったものであるから、古の鎌子の大臣の御名を縁にして藤原氏になりたいものだ。というのは関白になろうの下ごころだった。すると秀吉のその時の素ばらしい威勢だった・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪の如く、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高き処にて、ホサナ」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロやヨ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・ほとけの御名を。となへつつ。じごくのたねを。まかぬ日ぞなき。 同断中略。○十二月二十五日。さむいと、おもひてをれば、ばんかたより、また、ゆきがふりいだして、げに、さむいことになつたよ。ああ、さむや。やれ、さむや。・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・ 偉大なる神の御名を呼び、 高い神の御徳をしとうておすがり申すのでござるじゃ。王 お事は大なる神の御そば近く居ると申いてわしの領分のうちにお事のその強い音を出す翼で走り廻ろうと致すのじゃ。 わしは只己を信ずる許りじゃ。・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫