・・・「何か御用ですか?」 婆さんはさも疑わしそうに、じろじろ相手の顔を見ました。「お前さんは占い者だろう?」 日本人は腕を組んだまま、婆さんの顔を睨み返しました。「そうです」「じゃ私の用なぞは、聞かなくてもわかっているじ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・「何か御用でございますか?」 男は何とも返事をせずに髪の長い頭を垂れている。常子はその姿を透かして見ながら、もう一度恐る恐る繰り返した。「何か、……何か御用でございますか?」 男はやっと頭を擡げた。「常子、……」 そ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・燕はまだこんなりっぱなかたからまのあたりお声をかけられた事がないのでほくほく喜びながら、「それはお安い御用です。なんでもいたしますからごえんりょなくおおせつけてくださいまし」と申し上げました。 王子はしばらく考えておられましたがやが・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・が、女の癖に男のように頸の所でぶつりと切った髪の毛を右の手で撫であげながら、いつものとおりのやさしい顔をこちらに向けて、一寸首をかしげただけで何の御用という風をしなさいました。そうするとよく出来る大きな子が前に出て、僕がジムの絵具を取ったこ・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・「何処からおいで遊ばしたえ、何んの御用で。」 と一向気のない、空で覚えたような口上。言つきは慇懃ながら、取附き端のない会釈をする。「私だ、立田だよ、しばらく。」 もう忘れたか、覚えがあろう、と顔を向ける、と黒目がちでも勢のな・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・あの……後で、御前様が御旅行を遊ばしましたお留守中は、お邸にも御用が少うございますものですから、自分の買もの、用達しだの、何のと申して、奥様にお暇を頂いては、こんな処へ出て参りまして、偶に通りますものを驚かしますのが面白くてなりませんので、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・私店けし入軽焼の義は世上一流被為有御座候通疱瘡はしか諸病症いみもの決して無御座候に付享和三亥年はしか流行の節は御用込合順番札にて差上候儀は全く無類和かに製し上候故御先々様にてかるかるやきまたは水の泡の如く口中にて消候ゆゑあはかるやき・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・出来心で名刺を通じて案内を請うと、暫らくして夫人らしい方が出て来られて、「ドウいう御用ですか?」 何しろ社交上の礼儀も何も弁えない駈出しの書生ッぽで、ドンナ名士でも突然訪問して面会出来るものと思い、また訪問者には面会するのが当然で、謝絶・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 間もなく、「何か御用ですの?」と不作法に縁側の外から用を聞いて、女中はジロジロお光の姿を見るのであった。「御用だから呼んだのよ。この急須を空けっちまっての、新しく茶を入れて来な」「はい」と女中はようよう膝を折って、遠くから片手・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・美貌を買われて、婦人呉服部の御用承り係に使われ、揉手をすることも教えられ、われながらあさましかったが、目立って世帯じみてきた友子のことを考えると、婦人客への頭の下げ方、物の言い方など申分ないと褒められるようになった。その年の秋友子は男の子を・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫