・・・お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ達者でいておくんなせえ、ついちゃここに持合せが一両と少しばかりある、そのうち五十銭だけ君にあげるから……」と言いながら、腹巻を探った。 私はあまりに不意なので肝を潰した。「本当で・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・孫はあなた方の御注文遊ばした梨の実の為に命を終えたのでございます。どうぞ葬いの費用を多少なりともお恵み下さいまし。」 これを聞くと、見物の女達は一度にわっと泣き出しました。 爺さんは両手を前へ出して、見物の一人一人からお金を貰って歩・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・ いったいに私は物事をおおげさに考えるたちで、私が今まで長々と子供のころの話をしてきたのも、里子に遣られたり、継母に育てられたり、奉公に行ったりしたことが、私の運命をがらりと変えてしまったように思っているせいですが、しかし今ふと考えてみ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ ただもう血塗になってシャチコばっているのであるが、此様な男を戦場へ引張り出すとは、運命の神も聞えぬ。一体何者だろう? 俺のように年寄った母親が有うも知ぬが、さぞ夕暮ごとにいぶせき埴生の小舎の戸口に彳み、遥の空を眺ては、命の綱のかせぎに・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むの・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・彼は永遠の真理よりの命令的要素のうながしと、この同時代への本能愛の催しのために、常に衝き動かさるるが如くに、叫び、宣し、闘いつつ生きねばならなくなるのだ。倉皇として奔命し、迫害の中に、飢えと孤独を忍び、しかも真理のとげ難き嘆きと、共存同悲の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・―― とうとう、彼は、空手で、命から/″\の思いをしながら帰った。二三日たって、若い労働者達が小麦俵を積み換えていると、俵の間から、帆前垂にくるんだザラメが出てきた。 彼等は笑いながら、その砂糖を分けてなめてしまった。杜氏もその相伴・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・携えたる地理の書を読みかえすに、『武甲山蔵王権現縁起』というものを挙げたるその中に、六十一代朱雀天皇天慶七年秩父別当武光同其子七郎武綱云々という文見え、また天慶七年武光奏し奉りて勅を蒙り五条天皇少彦名命を蔵王権現の宮に合せ祀りて云々と見えた・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
第一章 死生第二章 運命第三章 道徳―罪悪第四章 半生の回顧第五章 獄中の回顧 第一章 死生 一 わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁さ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・俺たちのように運動をしているものは、命と同じように「交通費」を大切にしている。――印を押そうと思って、広げられた帳面を見ると、俺の名から二つ三つ前に、知っている名前のあるのに目がとまった。それは名の知れている左翼の人で、最近どうして書かなく・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫