・・・ごろ喫み覚えた煙草の煙に紛らかしにっこりと受けたまま返辞なければ往復端書も駄目のことと同伴の男はもどかしがりさてこの土地の奇麗のと言えば、あるある島田には間があれど小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ひどく脳を打って、それからあんな発育の後れたものに成ったとは、これまで彼女が家の人達にも、親戚にも、誰に向ってもそういう風にばかり話して来たが、実はあの不幸な娘のこの世に生れ落ちる日から最早ああいう運命の下にあったとは、旦那だけは思い当るこ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・そうすると、王女はあわてて姿をあらわして、「それを切られると私の命がなくなります。よして下さい。」とたのみました。 王女は、それから、ウイリイをもう一度昨日の広間へつれて行って、一しょに御馳走を食べました。ウイリイは犬から言われてい・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・「神様、私の命をおめしになるとも、この子の命だけはお助けください」 といのると、頭の上で羽ばたきの音がしますから、見上げると、白鳩が村の方に飛んで行って雄牛のすがたはもうありませんでした。 おかあさんが子どもをさがしますと、道の・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ 私は、ほっとして、それでは帰ろうかと腰を浮かしかけた途端に、馬小屋のほうで、「馬鹿! 命をそまつにするな!」と、あきらかに署長の声です。続いて、おそろしく大きい物音が。 名誉職は、そこまで語って、それから火鉢の火を火箸でいじく・・・ 太宰治 「嘘」
・・・それで絵画におけるキュービズムやフュチュリズムの運命が、おそらくはこの種の映画の行く末を見せてくれるであろう。 発声映画 無声映画がようやく発達して、演技や見世物の代弁の地位を脱却し、固有の領域を設定しかけたときに、・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・幸に世界を流るる一の大潮流は、暫く鎖した日本の水門を乗り越え潜り脱けて滔々と我日本に流れ入って、維新の革命は一挙に六十藩を掃蕩し日本を挙げて統一国家とした。その時の快豁な気もちは、何ものを以てするも比すべきものがなかった。諸君、解脱は苦痛で・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ お初は、何かに追ったてられるように、「あんた、争議団では、また今朝、変な奴らが、沢山何ッかから、来たんだよ………あんな物騒な奴らだものあんた、ほんとうに、命でもとり兼ねないよ……あれ、ホラ、あんな沢山ガヤガヤ云ってるじゃないの、聞・・・ 徳永直 「眼」
・・・未ダ幾クナラズシテ官新令ヲ下シ、命ジテ之ヲ徹シ去ル。安政中北里災ニ罹リ一時仮館ヲ此ニ設ク。明治ノ初年ニ至リ官復許シテ之ヲ興ス。爾来今ニ至ツテ日ニ昌ニ月ニ盛ナリ。家家娉ヲ貯ヘ、戸戸婀娜ヲ養フ。紅楼翠閣。一簇ノ暖烟ヲ屯ス。妓院ノ数今七八十戸ニ下・・・ 永井荷風 「上野」
・・・「命は長き賜物ぞ、恋は命よりも長き賜物ぞ。心安かれ」と男はさすがに大胆である。 女は両手を延ばして、戴ける冠を左右より抑えて「この冠よ、この冠よ。わが額の焼ける事は」という。願う事の叶わばこの黄金、この珠玉の飾りを脱いで窓より下に投・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫